小中の断絶 ふり返り366日【08/5/31-4】/汚濁水道水
小学校から中学校に進学したときに,子どもたちは生活や学習の態度をどのように改めるのか?
小学校の教師たちには,関心を持っていただきたいことです。
なぜ,中学校入学と同時にできる態度が,小学校では身に付けられなかったのか?
小中一貫校には,この「不連続性」を改善させ,子どもたちの健全な発達と成長を促す工夫に取り組んでいただきたいと考えています。
「敬語が話せない」小学生。
「敬語を使わせない」小学校教師。
→「敬語が話せる」中学生。
→「敬語を使わせる」中学校教師。
非常に大きな断絶です。
「敬語を強制することはおかしい」・・・そんなことはだれでもわかることですが,
「強制できないから敬語が話せないことを放置する」小学校教師。
「『パパがそうおっしゃいました』とわけのわからない日本語を話す子どもに対して,フォーマルな会話では,一言ずつ,言い直させながら敬語を教え,話させる指導を繰り返さなければならない」中学校教師。
日本語の問題だけとは限りません。
ある学校の小学生は,教師の体にベタベタと触ってきます。逆なら犯罪になりかねないことです。
いわゆる「ジェンダーフリー」とは全く違った概念でとらえるべき男女の区別も,何を誤解してか,6年生になっても同室で就寝させるような教育?をしている学校すら存在します。
このような断絶が起こる最大の原因は,「公私」の区別が小学校ではできない,ということにあるのでしょう。
中学校では,HRといえども,公的な空間です。
授業ごとに教師は変わりますし,活動の仕方によっては他クラスの生徒も入ることが可能です。
小学校の「学級王国」は,ほぼ私的な空間です。
礼儀正しさを失い,ゆるい空気が善と見なされるようになった家族のような空間が,小学校の教室という一室の中で展開されています。
公私の区別ができない子どもは,組織的に大量に生み出され,13歳になってようやく「あるべき姿」を知るようになりますが,残念ながら,それでは遅すぎます。
小中の断絶は,教員免許が決定的な溝を生んでいる原因なのでしょうが,学習指導要領を比べてみる限り,柔軟に対応していく必要が叫ばれるようになっていくでしょう。
08/5/31
個人・社会観のコペルニクス的転換齋藤孝・梅田望夫「私塾のすすめ」(ちくま新書)を読んで、自分の好きな仕事に打ち込める著者たちは本当にうらやましく思います。
そして、目の前に「何とかしたい人間」「このままでは許せない人間」(齋藤孝の場合は大学生など)がいつもいるというのも本当に恵まれた環境です。
しかし、近年は、このような「打ち込んでいる人間」がうざったく、はた迷惑だと感じてかつそれを表に出すタイプの子どもが増えてきたように思います。(だから齋藤孝が別の作品ですがキレモードの本を出すようになったのか?)
「俺は俺の楽しみを追求したいのだし、人間にはその権利があるのだから、他人からとやかく言われる筋合いはない」という態度です。
「人に迷惑をかけないなら何をしてもいいでしょう。学校に違反物を持ち込んで何が悪いの」と主張する生徒の「人」には、先生や本当の意味での自分が含まれていないのです。
私は今まで、個人(自分、心)が世界の中心にあり、その周囲を世界(社会)が取り巻いているイメージを当然のように抱いていましたが、この方法だと「内に閉じこもる」「ひきこもる」ということが可能になってしまうので、あえて個人と社会のイメージは、社会が中心にあって個人が社会を包み込むイメージをもつべきだと考えるようになりました。
誤解のないように付け加えると、「滅私奉公」を唱えているわけではありません。個人は小さいものではなく、無限の広がりをもつというものです。
図でこれを示すと、今までのイメージだと個人が真ん中にちっちゃく、社会が大きく、という現実の物理的なスケールに合ったかたちになりますが、逆にすると、社会は小さく、個人は大きくなり、実はこれは現実の「自己」の精神的な面のスケールのイメージに近いのではないでしょうか。
「個人」の肥大化が、社会から遠ざかっていくイメージというのが、ぴったり示せます。
「社会」が「個人」の可能性を閉じこめているようなイメージがなくなります。
種としての、個体のしての「ヒト」ではなく、漢字で示せる「人」、「人間」としての本質は、「社会の中にある」というより、「社会が中にある」イメージで捉え、そういう社会観、世界観を育てていくことが必要だということです。
私の中では大げさですがコペルニクス的な転換です。
この意味でいうと、「ひきこもり」という言い方はできなくなり、「縄跳びの輪に入れない」イメージに転換します。
「いじめ」は、自分の中心を傷つける行為になります。
「滅私奉公」という考え方がなくなります。自分の中心に向かって生きていくわけだし、自分の枠は外側にしっかりあるわけですから。
「公共の精神」「愛国心」「自由」の捉え方、概念も変わっていくでしょう。
「公」=「お上」という発想はなくなり、健全なシティズンシップが構築できるのではないでしょうか。
また時を改めて考えたいと思います。
*******************
昭和の家庭史トリビア?【第35問】
昭和8年(1933年)の話です。
東京・玉川水道が,市内18万戸に有害濁水を供給してしまいました。原因は腐敗した木製の給水管でした。
利用者への謝罪として取られた方法は次のうちのどれでしょうか。
① 下痢止めの薬の無料配布
② 水道料金5割引き
③ カルピス1年分贈呈
*******************
ブログランキング 歴史
【第34問の解答】
③の「太陽光線を浴びる運動」でした。
« 相互評価が苦手な理由 ふり返り366日【08/5/31-3】/健康を取り戻すための運動 | トップページ | 小学校の学級王国=巨大な一人親家庭 ふり返り366日【08/6/1-1】 »
「教育」カテゴリの記事
- 教員になりたての人がすぐ辞める理由(2019.01.12)
- 教育は「願ったもの勝ち」「言ったもの勝ち」ではない(2019.01.08)
- 「一人も見捨てない」は罪な要求である(2019.01.04)
- 列で並ぶこと自体が好きな?日本人(2019.01.01)
「歴史学習」カテゴリの記事
- 皇族への言論弾圧(2018.11.30)
- 正倉院展を訪れて(2018.11.06)
- 日本における戦後の急速な発展を支えた教育とは?(2018.09.22)
- 近づきにくい人に近づく方法(2018.09.10)
- 縄文女子と飯盛山のさざえ堂(2018.08.15)
「昭和の家庭史」カテゴリの記事
- 現実的な教育内容や教育方法の議論がなぜ小学校や高校では役に立たないか(2017.12.29)
- 9月22日 犠牲にするものが変化した(2017.09.21)
- 9月16日 子どもがテレビを見なくなった(2017.09.17)
- 長子・中間子・末っ子,一人っ子の特質(2017.01.22)
- 【データから考える教育-7】 子どもの自立への不安(2016.09.18)
この記事へのコメントは終了しました。
« 相互評価が苦手な理由 ふり返り366日【08/5/31-3】/健康を取り戻すための運動 | トップページ | 小学校の学級王国=巨大な一人親家庭 ふり返り366日【08/6/1-1】 »
コメント