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宿題を増やすと同時に増えるもの ふり返り366日【08/5/31-2】/ライオンの赤ちゃんの乳母

 学習の成果を「形にする」のは,教師というより学習の主体である子どもです。
 成果を調べるのに,一番わかりやすく,客観性も高いのは,同じテストをして得点をつけることです。
 ただ,ペーパーテストでは学力の部分的な成果しか見えないので,もっと広い範囲の力を見るために,授業中に作成したまとめポスター新聞などが評価の対象となります。
 新学習指導要領では,「言語活動の充実」という観点から,レポートの作成が求められるようになっていますが,「そんなことは以前からやってきた」という教師の方が,信頼に値するのでしょう。
 ペーパーテストの問題を「4観点の評価に対応させる」という努力をしてきた教師も多いでしょうが,それでも限界があります。
 これから,新しいタイプの「宿題」が増えることでしょう。
 ただ,レポート等の「宿題」を「読む」ことも,かなりの時間がかかることを覚悟しておく必要もあります。

08/5/31 書類を作成する目的と効果(結果)

 自己申告書などの書類を作成することが、「より良い教育を実現するための目的」ではなく、評価をつける目的で行われているので気に入らない、という意見があります。
 ある方のブログへのコメントとして、私は次のように述べました。
 

書類を作成する目的は、子どもの成長(教育の目的)の軌跡と自己の実践(教育の手段)との関連を明確に示すことにあり、それを直接的に利用するのは管理職、管理主事等かもしれませんが、自分の職務行動が本当に子どもの成長に寄与していたのか、足りなかったとしたら何が足りなかったのかを自己反省(自己評価)することによって、結果としてはより良い教育を実践していくための重要な職務行動と考えることができます。
 他にも、「子どもは成長していないが、それは教師が何もしていないからではなかった」ことなどを書類は示してくれたり、「子どもが成長したことは、その教師がこれこれの職務行動をとったおかげだ」という内容があれば、他の教師にとっても有益な情報になり、それはつまり子どもにとってプラスになる場合があったりと、その効果は一つではありません。
 デメリットは、作成するのに時間がかかるということですが、これは自分の実践をきちんと分析的に捉え、望ましいPDCAサイクルを実現していれば、さほど苦にはならないでしょう。成果が見えず、自己反省とか、自己改善の習慣もない教師には苦痛かもしれませんが。
 より良い教育の実践記録として書類を捉えるとしたら、それは、今後、自分や他の教師によって継続的に「より良い教育が実践されることを目的とした行為」にもなります。

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昭和の家庭史トリビア?【第33問】 
 昭和7年(1932年)の話です。
 東京・上野動物園でライオンの赤ちゃんが生まれました。このとき,同園の乳母第1号になったのは,次のうちのどれでしょうか。
 ① トラの「寅」 
 ② ゴリラの「梅子」
 ③ ブルドッグの「茶目」

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 【第32問の解答
 ①の寿々木米若(浪曲師)でした。1万4000円でダントツ。淡谷のり子(流行歌手)は2700円,北原白秋(作詞家)は830円。作曲家の中山晋平は9750円,ソプラノ歌手の関屋敏子は9600円など,かなり格差があったようです。この年,NHKが第1回全国ラジオ調査を実施し,嗜好番組の1位は浪花節で57%という数字が出ていますから,出演料のデータも納得できます。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より