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よい教師と名ピッチャーの共通点 ふり返り366日【08/5/29-2】/日本は何大国だった?

 よく授業は教師と子どもの心や言葉の「キャッチボール」という比喩が使われます。

 キャッチボールの基本は,受ける側は,正面で取れるように移動して,両手で捕ること。

 投げる側は,相手の正面に投げること。

 ボールの回転や速度,材質も相手によっては選ぶことが重要になります。

 授業とキャッチボールが異なるのは,ほぼ同時に投げられてくるボールを処理しなければならないことと,予期でいないほどの癖球が飛んでくることでしょうか。

 子どもにとって最悪なのは,あさっての方向に飛んでいくボールを教師が投げ続けたり,自分の席まで届いてこないボールが多いことです。

 ベルペンで投げることがおろそかになっている教師が,本番でいきなりいいボールを投げることはできないでしょう。

 よい教師の条件は,よいピッチャーがもっているものと同じなのかもしれません。

08/5/29 授業を玉入れにたとえると・・・

 ある方のブログを訪問し、「生徒が持っている情報量が教師の持っているそれより少ないこと」が認識できないで授業をする教師がいる(=典型的な教師の失敗の一つです)という記事を読んで、以下のようなコメントを入れさせていただきました。
 

教師のまずい指導がおこるのは、その教師がそういう指導を受けてきたからだと思いました。
 教師は、自分が受けてきた授業のような授業をしがちです。
 教育実習生を指導するときも、教師を指導するときも、切実に感じました。
 教育の成果は、教師が上から落としていくものを子どもが籠とかで受け止めていくイメージではなくて(籠ではなくザルが多い)、玉入れのように高いところにある籠にものを投げ込んでいくイメージに近い。
 コントロールを誤れば入らない。
 玉もたまっていかない。
 子どもは、けっこう高い位置にいるものです。
 学習への要求水準は実は高いのです。
 あまり低い籠に玉をためても満足はしない、というのが私のスタンスです。

 下に向かって玉をばらまいているような授業はいつでもたくさん見受けられます。
 生徒の皆さんは、このたとえがわかりますか?

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昭和の家庭史トリビア?【第31問】 
 昭和7年(1932年)の話です。
 当時の日本は,世界的に有名な○○国という汚名があったそうです。○○にあてはまる言葉は?
 ① 寄生虫
 ② 毒キノコ
 ③ 性病

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 【第30問の解答
 ②の35区でした。今の23区になったのは,昭和22年(1947年)のことです。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より