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「今どきの子ども」と教師 ふり返り366日【08/5/28-4】/夫と妻の権利

 子どもたちというのは,社会に出るまでの間に,どのような影響をどのくらい,学校から,家庭から,社会から受けているものなのでしょうか。

 学校なら,教師から,友人たちから,先輩から・・・相手の立場は様々です。
 家庭で影響を受ける相手は,少子化核家族化で昔よりかなり限定的になっています。
 社会については,インターネットという,ほとんど子どもと大人の垣根のない「自由な世界」に,携帯などから自由にアクセスできる環境に変化しました。

 人が他者や環境から受ける影響は個人によってかなりの違いがあるでしょう。

 学校が個人に与えている影響は,測定不可能である,それも確かなことかもしれません。

 しかし,だから学校や教師がその影響について過小評価してもよい,ということにはなりません

 学校の教師と子どもとの関係を考えた場合,決して忘れてはいけないのは,「AがBの時間の使い方,行動の内容をコントロールできる」という関係が教師()と子ども()との間にあり,その時間が非常に長い,ということです。

 この二者の関係には,「BがAに従順かどうか」が第一に問われます。
 の子どもにとってのは,教師とは限らず,他の影響力の強い,クラスメイトであるかもしれません。
 
 このような関係のもとで,どのような影響をから受けるのでしょうか。

 まず,教師の立場で問うていく必要があるのは,子どもがもっている諸問題のうち,教師や教師集団から直接的な影響を受けて発生している可能性のあるものを洗い出していく,そういう作業なのではないでしょうか。

 このブログの中では繰り返し行ってきましたが。

 家で学習をしない。

 本を読まない。

 規則を守らない。

 時間を守らない。
 
 向上心がない。

 リーダーシップがとれない。

 奉仕的精神に欠ける。

 教師が子どもに求めようとしていることは,まず教師自身が自分に求めていかないといけないでしょう。

 勉強する時間がない?・・・それは「忙しいから!」・・・子どもも教師も同じ言い訳をしていませんか?

08/5/28 若者と教師に共通する弱さ

 教育学者の齋藤孝氏は、大学で相当ストレスがたまっているのか、著書「なぜ日本人は学ばなくなったのか」(講談社現代新書)で厳しい若者批判をしていますが、以下のようなものは、教師にあてはめても同じようなものです。
 

若い人は、たとえ強気に見える人でも、自分が強固だとは思っていません。むしろ批判されたらガラガラと崩れてしまうような脆さを持っています。だから、生き方や価値観、能力といったことに踏み込まれり、・・・(中略)・・・
 自分が裸にされ、実力を試され、場合によっては否定されるようなリスクには耐えられない、というわけです。
 ・・・・
 現在は、他者の前で自分の実力があからさまになることは避けたいと思う一方で、他者による承認も得たいのです。競争には参加せず、自分の実力を高める努力は避けつつ、一方で「君はユニークだ」「唯一無二だ」「資質があるよ」と褒めてもらいたい。そういう都合のいい欲求が目立つようになっています。

 見える範囲が限られている著者ではありますが、見えていることは事実でしょう。
 若者と同じ教師の弱さ。
 まさか、若者の現状というのは、教師の資質自体が若者に影響を与え続けたその結果なのでしょうか。

*******************
昭和の家庭史トリビア?【第29問】 
 昭和7年(1932年)の話です。
 この年の6月に,大審院(現在の最高裁判所に相当するもの)が下した「新しい判決」とは? 
 ①「妻の日記は夫でも読んではいけない」
 ②「妻に家計の管理をさせてはいけない」 
 ③「妻の持ち物は夫でも自由にしてはいけない」

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 【第28問の解答
 ③の「命はいつ棄てても仕方がない」でした。五・一五事件と言えば,「話せばわかる」「問答無用」という有名なやりとり?が「流行語」になっています。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より