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学ぶ姿勢がない教師から何が学べるか ふり返り366日【08/5/28-3】/五・一五事件

 「教師は話を聞かせるのは好きな人間ですが,話を聞くのは苦手な人間です」

 「教師は評価をするのが専門の人間ですが,評価をされるのは大嫌いな人間です」

 こんな言葉を教員免許状更新講習の冒頭で述べた講師がいたそうですが,相当の自信の表れでもあります。

 「教えることのできない子どもというものはない。あるのは,子どもたちにうまく教えられない学校と教師だけであえる」ということを述べた研究者もいます。

 教えることの改善の余地がどこにあるのか。

 免許状更新講習が,それを探る機会の一つになるかどうか。

 更新講習という学習の場を経験して,「学ぶことは一つもなかった」と言ってしまえるような教師が,どのような教育をしているか。

 見方は二つあるでしょうが,「学ぶことが何もない」学びの場とは,何なのでしょう。

 社会科の教師に,知識の記憶にすべてをつぎ込んでいるタイプの人がおり,大体はその言い訳を「受験があるから」というものにしているのですが,こういう人に,「学ぶ」とはどういうことなのか,子どもに問われたときの準備はあるのでしょうか?

08/5/28 教師たちの低い職業倫理

 学校選択制についてのコメントを読みながら、教師たちの低いモラル、職業倫理(金のためなら・・・)のあり方にあらためておぞましさを感じました。
 また、教師や学校を評価する目をもたない(一般の方ならこれが当たり前のことなのでしょうが)教師が多いことも実感できました。
 だから自分の研究が役に立つのだと思います。
 以前にも、学校訪問で教師の資質・能力を観察するポイントのことを述べたと思いますが、あえて教師の方にそれがわからないように(紹介した部分だけ、努力されるということのないように)、再度の公開は控えようと思います。
 「よい教師の条件」「優れた教師の行動特性」は、なるべくたくさん具体的に示す必要があると考えています。

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昭和の家庭史トリビア?【第28問】 
 昭和7年(1932年)の話です。
 暗殺事件の多発に,防弾チョッキの注文が殺到するようになりました。犬養毅首相にも贈られたそうですが,そのとき首相は何と言ったのでしょうか。
 ①「この日本もいよいよ終わりだ」 
 ②「話せばわかるのが日本人だ」 
 ③「命はいつ棄てても仕方がない」

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 【第27問の解答
 ①の「女性が下着(ズロース)を身につけること」でした。理由は,ロープを使っての脱出時に裾を気にして落下した女性が多かったため,ということです。ただ,有名なエピソードではありますが,その普及率はさほどではなかったとも言われています。実際にズロースが一般に広がったのは,戦時中にモンペをはくようになってからのようです。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より