ウェブページ

最近のトラックバック

本の検索・注文


  • サーチする:
    Amazon.co.jp のロゴ

« 全体・部分・個の相互関連 ふり返り366日【08/5/28】 | トップページ | 学ぶ姿勢がない教師から何が学べるか ふり返り366日【08/5/28-3】/五・一五事件 »

「ノー公教育」コールを防ぐためには ふり返り366日【08/5/28-2】/デパート火災と女性の衣服

 齋藤孝は「なぜ日本人は学ばなくなったのか」の中で,
 

ある種の「開き直り社会」ないしは「バカ肯定社会」へと,世の中が一気に変質してしまった

と述べています。本人は,もっと刺激的な「なぜ日本人はバカになったのか」というタイトルをつけたかったのかもしれません(しかし似たタイトルの本がほかにありました)。

 「バカ肯定社会」は,「ノーリスペクト社会」でもあり,教師や親,先人に対する尊敬・感謝の念が喪失されてしまっている社会であるといいます。

 学者ですから,「ノーリスペクト社会」になったので,「バカ」になった,とは言っていませんが,学力向上については塾や通信教育の分野に頼ることが可能になり,様々な情報もインターネットを通じていくらでも手に入る時代になって,主に「知識」の伝達,「受験のための授業」が中心となってしまっている学校の相対的価値が低下していることは明らかであり,その結果として,ノーリスペクト状態に拍車がかかっていることは確かでしょう。

 そこに追い打ちをかけるように,「教師を尊敬しなくなったからだめなのだ」という因果関係で片付けようとする愚かな人間がいることが,教育界にとっては頭痛の種です。

 「バカ肯定社会」の担い手に教師がなってしまい,「ノー公教育」コールに結びつかないことを祈っています。

08/5/28 「なぜ日本人は学ばなくなったのか」

 齋藤孝著「なぜ日本人は学ばなくなったのか」(講談社現代新書)には、著者の強い口調のメッセージが込められているのですが、私はamazonのレビューに比較的辛口のコメントを入れました。
 辛口であるには珍しく、今のところ、10人中8人が「参考になった」としています。

 齋藤孝の著書は9割方読みました(熱意があふれるよい教育書が多かったです)が、日本人の読書離れに対する著者の不満を「日本で売れる本の条件の一つ」である「日本(人)の危機を煽る」というパターンで表現したこの本への評価は、残念ながら高いものではありません。
 タイトルの問いに答えはしているものの、「昔はよかった」系の「知識披露」が多く、読書がもたしてくれた成果であることはわかりますが、著者が言いたい「学び」 は「読書」や「学校教育」という枠にとらわれすぎ、深くても広さがないのが不満の一つです。しかしこれは、教育学者が陥っている典型的なパターンなので仕方はないでしょう。
 一般人には、「教養の欠落」というレベルと「学ばなくなった」というレベルは決して同じではありません。
 タイトルの問いの答えを端的に表現すると、学習への刺激、機会、圧力がなくなったからで、さらにくだいて言えば「学ばせなくなったから」ということです。
 教育の「強制」をキーワードにしようとしていることはよく理解できます。
 しかし、著者が、研究によって「見たいものしか見えなくなっている」状況に陥ってしまっていることが気にかかります。

 大学や大学生への不満もひしひしと感じられますが、自分で選んで入試を受けて通っている大学生と、近所の中学校に通っている普通の中学生を同列にして語ることもできませんから、この本のタイトルは不適切なのです。

*******************
昭和の家庭史トリビア?【第27問】 
 昭和7年(1932年)の,やや有名かもしれない事件の話です。
 12月16日の午前9時30分頃,東京・日本橋のデパートで火災が発生し,女店員の何人かが脱出中に死亡してしまいました。
 この事件以降に一般化したと言われていることとは何でしょうか。
 ① 女性が下着を身につけること。
 ② 女性が和服ではなく洋服を着るようになったこと。
 ③ 女性が体育の授業を受けること。

*******************
ブログランキング 歴史
にほんブログ村 歴史ブログ 近代・現代史(日本史)へ

 【第26問の解答
 ③の「女子ボクシング」でした。

« 全体・部分・個の相互関連 ふり返り366日【08/5/28】 | トップページ | 学ぶ姿勢がない教師から何が学べるか ふり返り366日【08/5/28-3】/五・一五事件 »

教育」カテゴリの記事

歴史学習」カテゴリの記事

昭和の家庭史」カテゴリの記事

学力向上」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

« 全体・部分・個の相互関連 ふり返り366日【08/5/28】 | トップページ | 学ぶ姿勢がない教師から何が学べるか ふり返り366日【08/5/28-3】/五・一五事件 »

2021年11月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
無料ブログはココログ

宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より