超短期的な目標にふり回されない教師 ふり返り366日【08/5/25-1】/不衛生な日本人
自己申告やキャリアプランを提出するときに,「補助資料」を添付している教師はどのくらいいるでしょうか。
あるいは,補助資料を要求している管理職は,どのくらいいるでしょうか。
それぞれの資料には,ある程度の具体性をもった目標なり計画なりが書かれているはずですが,何しろA4の大きさ1枚の表裏しかありませんから,詳しいことは一切書けません。
「面接のときに答えればよい」「答えてもらえればよい」という考え方もあるでしょうが,何らかの「裏づけ」は必要でしょう。
これは,教育委員会に「教育課程届け」を受理してもらうときにも同じことが言えます。
教育課程届けには定型がありますが,補助資料には,決まった形というのは必要ありません。
そこに各学校の独自性,今年度の反省を踏まえた来年度の教育にかける意気込み,地域の変化を見据えたある程度のスパンをもった中・長期計画など,企業なら当たり前に行っていることを,どれだけ教師が自分たちの力で表現することができるか。
あまりにも目の前のことに振り回されすぎているという印象のある教師を,どうしたら「意図的・計画的な実践者」というスタイルに変えることができるか。
まずは,係生徒を分刻みで自ら動けるように仕込めるような行事運営ができる教師を増やしていくイメージが一番しっくりくるでしょうか。
超短期的な「指導のコツ」などに飛びついてばかりの教師風土を改善していくことも必要でしょう。
08/5/25 自己申告やキャリアプランは無駄な書類か?自己申告書やキャリアプランが「無駄な書類である」という認識をしている教師はやはり多いのでしょうか。
子どもに「今年の目標」「○年生になっての抱負」などの作文を書かせるねらいは何でしょう。
子どもも「またか、めんどくせえな」と思っているかもしれません。
もし教師がそういう作文を書かせっぱなしで、以後の指導の場面で全く活用しないのであれば、なくしてもいいのかもしれません。
子どもたちには教師の実像を知ってもらうためにも語りかけたいのですが、やたらと作文を書かせている教師は、その間、何をしているのかをよく観察してみてください。
まさかネットでショッピングをしている人はいないでしょうが、自分のための時間を使っているかもしれません。
作文を書いている途中で、個別に見て誤字を直してくれたり、姿勢や鉛筆の持ち方を注意してくれたり、そういう個別指導をしていますか。
その作文が、学級通信などでフィードバックされていますか。
また、その作文で書いた内容を教師は覚えていてくれて、時間がたってからの会話でその話題が出たりしたことはありますか。
教師への自己申告やキャリアプランも同じことです。
管理職がそれらを通してよく教師のことを理解し、実践も観察して力量を分析することで、異動のときに正しい「よい評価」「よい評判」を次の学校に伝えることができます。
新規採用ではあるまいし、「この人、どんな仕事ができるのか、よくわからないが、よろしくたのむ」なんてことがあってはなりません。
しかし、「悪口」「悪い評判」ばかりが伝えられてきた歴史がかなり長かったのではないでしょうか。
長い歴史をもつ日本の「安心社会」は、問題のある成員を組織内で排除できる(担任をもたせない、教務部には入れない、○○だけ任せるなどの)しくみがありましたから、問題による被害を食い止める能力は高いのです。
自己申告やキャリアプランというのは、「信頼社会」に欠かせない「他人を信頼すること」の根拠になるものです。その教師の「能力開発履歴」「目標歴」「コンピテンシー獲得歴」になるのです。 ある管理職から見たらあまり評価できそうもない教師でも、他の管理職なら別の点に着目して評価してくれるかもしれません。
「いやいや、私は平均以下の、何の取り柄もない教員ですから、こんなの書くの無駄ですよ」と口では言っていても、やはり長所は長所として評価してくれることを悪く思う人はいないでしょう(本当に管理職嫌いの人は、わかりませんが)。
yo先生のブログのコメントには、こんな余計なことまで書き込ませていただきました。
管理職や行政の最大の悩みとして、学校の経営者になろうとする教員があまりにも少ない問題を挙げて終わりにしようと思います。
資質がないのに志望している人を任用しないように、少しでも資質があると考えられる人を管理職が口説いて選考に向かわせているのが現状です。
私が使うたとえは、難しい集団構成になったクラスで学級委員の立候補がでない状況と同じようなものです。
この状況が、現場に20年いても30年いても変わらないのは、すばらしいこととも言えるし、「その年になってもどうして・・・」とも言えるのです。
団塊の世代はまだ人に任せておけばいいのですが、それが抜けた後、惨憺たる状況が待ち受けています。経営にたえられる人材の確保はもはや不可能になるかもしれません。当然、民間人校長や学校運営を地域が担うタイプの学校が増えることになります。それはそれでとてもいい結果になるかもしれませんが。
今は興味はなくても、自分が手を挙げないと、さすがに学校は崩壊すると実感する時が来る教師は多いと思います。
「私には関係ない」という態度の教師でも、本当に頭を抱える管理職ばかりになったら、考えてくれるでしょうか。
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昭和の家庭史トリビア?【第17問】
昭和5年(1930年)の話です。
東京・深川小学校で,「不衛生」だという理由で励行されるようになったのは?
① 運動時は体操着に着替えること
② トイレで手を洗うこと
③ 髪を切ること
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ブログランキング 歴史
【第16問の解答】
③は,昭和元年の話でした。私の母親が「ソフトボールの名投手」だったと聞いて,意外に思った記憶がありました。時期としては,確かだったことがわかりました。
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