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「偏る」自然さ・不自然さ ふり返り366日【08/5/25-6】/「けん玉」の正式名は?

 物理的な通学距離や友人関係などが絡んで,学校選択自由化といっても,それほど極端に生徒数が変動することはありません。それが実際にあるとしたら,もともとの大規模校で部活動の数が多くよい戦績を残しているか,生徒数が減少しているところに「ここはやめた方がいい」という声が内外から聞こえてきてしまう場合でしょう。

 ある程度の規模があると,「荒れている」という声がたっていても不思議と生徒数は減らないものです。

 やはり中学校の部活動は学校側にとってはカリキュラムの外にあって,子どもや保護者にとってはど真ん中に近いところに位置しているようです。

 小規模校が多いある地域では,一部で部活動がさかんであると耳にすると運動が好きで活発な生徒ばかりが集まり,部活動がさかんでない学校ではひたすら生徒がおとなしく静かに暮らしている・・・場合によっては,男女数の格差が広がっていく,そんな面もあるようです。

 ニーズに合わせて自然に動いて偏るのことを「普通」と見るか,自由を認めずに操作して数あわせをすることを「普通」と見るか。

 社会は大きく変化しているので,ゆでがえるで気付いたときにはすでに手遅れにならないようにしなければなりません。

08/5/25 「うちの学校に転校するのは、やめた方がいいですよ・・・」??

 多くの教師は「子ども第一主義」を掲げますが、子どもに教師や学校の選択権を与えることは拒もうとしています。友達と別れようが、強い部活に入りたがろうが、どんな理由があるにせよ、教師や学校を選ばせてはいけない・・・。
 それは、学校は「子どもではなく教師のためにあるもの」であって、「子どもが学校や教師を選ぶなど、もっての他だ!」と考えているからかもしれません

 私の在職中の話ですが、他県から転入してくる生徒の保護者から、学校の情報の問い合わせがあったところ、ある教師が、「子どものためを思ったら、この学校に入れさせるのはやめた方がいい」と言ったという話を聞いたことがあります。

 まさかぼったくりの店ではあるまいし、家に近いどこどこ中学校はやめた方がいい、○○中の評判はいい、などという情報が現場の教師から流されるのはなぜでしょうか。
 親切に教えてあげているのはわかるのですが、従業員が「この店で買い物するのはやめた方がいい」なんてことを客に教えるのは想定できないですよね。
 昔からあった義務教育の学校のこのような問題は、どうしたら解決できるのでしょうか。
 「鳴くまで待とうホトトギス」でしょうか。それとも・・・。

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昭和の家庭史トリビア?【第19問】 
 昭和5年(1930年)ころの話です。
 ある遊びの呼び名が「けん玉」と変わり,大流行したそうです。「けん玉」は,元は何と呼ばれる遊びだったのでしょうか。
 ① 王様ボール
 ② 日月ボール
 ③ 串刺しボール

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 【第18問の解答
 ②でした。140人が検挙されたそうです。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より