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リーダーは甘くない ふり返り366日【08/5/25-2】/産地偽装の効用

 「リーダーになれる子どもが減っている」ことを嘆いている教師がいるとします。

 この教師に問わなければならないのは,リーダーをこれから養成する気があるのかないのか,ということです。

 集団活動を行うとき,自然発生的にその場を「しきる」生徒が出てくると,全体としての動きもスムーズになります。

 こういう小集団を「しきる」能力はそのままリーダー性に結びつくわけではありませんが,とりあえず誰かが何かを言うまでじーっと待っていようとする人間ばかりでは,教師が指示を出さない限り何も進みません。

 教師のイライラは,こういう「指示待ち」場面で募るケースがよくあります。

 子どもの人間関係を調べてみると,お互いを牽制する火花が散っており,「様子見」がとりあえずは妥当な戦略だと子どもなりに判断している場合には,教師のはたらきかけで活動がスムーズに始まる場合もあります。

 しかし,みんな「何も考えていない」・・・これは,実際に高校のいわゆる「底辺校」に進学した生徒が,思わずもらした感想で,「考えてみたら,中学校では何もしなくてもだれかが何かをしてくれた。ここでは黙っていると何も始まらないことがわかった」という声があったのを思い出しました・・・状態を,どうしたら「自分は何ができそうか」という思考にもっていき,自発的な動き出しを促せるか,うまくいく指導をするのはなかなか難しいものです。

 まだ中学校段階では,リーダーを固定化させる必要はありません(というより,固定化したリーダー=半分教師のような存在を作るのは得策ではありません・・・教師にとっては都合はよいですが,子どもの都合を優先すべきです)。

 将来,どんな社会的立場になるかわかりませんので,「他の数人を自分の指示や意見の表明一つで動かす」という体験を,いつかどこかで必ずさせておくことは重要でしょう。たとえその体験が結果として「失敗」だったとしても,将来,その失敗を生かした取り組みができるようになるかもしれません。

 学習の面ではなかなか言いにくいことですが,人間関係に関しての学びは,「成功」で満足するよりも,「失敗」から多くを学び,体得し,「心の筋力」をつけておくことが重要であることを,常に子どもにメッセージとして教師から伝えておくべきでしょう。

 私はリーダーになれそうな子どもに甘い言葉をかけることは一切ありませんが,甘い言葉で勘違いを誘い利用されやすくなる人間を育成するよりは,より高い理想を目指して現状肯定で手を抜かない人間を育成するという態度をとっています。

 むしろ,リーダーなんかになるものではない,という(「責任」に対する強い自覚を伴った)認識を与えることが,「いつでもリーダーにはなれる」という勘違いをさせるより,何倍も効果的なことであり,有害でない指導法だと信じています。

 信頼に値しない「えせリーダー」の決まり文句に,「しっかりと」「命がけで」「きちんと」という修飾語がある,と言っていたのはだれだったでしょうか? 

 それらを具体的に言えることが,リーダーとしての必須条件なのでしょう。

08/5/25 班活動の指導に関する一考察

 班活動が欧米では一般的でなく、集団主義的な日本の社会にマッチしたもの、あるいはそのような集団主義を築いていくためのものとして機能していることはよく知られています。
 ただ、この自治のスタイルは「信頼を獲得する」というより、「ずるをする(さぼる)と集団から制裁を受け、結果として損をするので実行する」メカニズムをもっているので、「私は掃除より部活動を優先したい」という個人主義を排除する機能を優先していることも念頭において私は指導するようにしています。
 また、他人を信用した方が得をする信頼社会ではなく、自分に損になることはしないはずだ(仲間内での制裁機能がはたらくから、みんな仕事をするはずだ)という安心社会を維持しようとしてきたのが日本の特色ですが、たとえば教師の見てないところではさぼってしまうように、仲間内でも制裁機能がはたらかなければ利他的ではなく利己的な行動をとる傾向が強まっているため、その限界が指摘されています。
 班ごとに割り当てられている仕事を確実に実行できるからその生徒は信頼できる、というときの信頼は、おそらく教師が子どもにもたせようとしている理想的な「自治」機能によるものではなく、さぼった人間が放置される、さぼっても許されるということがないようにする、つまり排除機能をしっかり持たせ、安心社会を維持できる成員に対する信頼と言えそうです。
 ですから、もし信頼社会を築こうとしたら、班の仕事をしているから信頼できるという言い方ではなく、いい仕事(より丁寧にやるとか、他の人が気付かないようなことまでしているとか)をしているから信頼できるという言い方で指導すべきだと私は考えています。

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昭和の家庭史トリビア?【第23問】 
 昭和6年(1931年)の話です。
 イギリスから輸入されたある製品の中身が国産品とすり換えられ,低価格で売られるという事件が起こりました。
 この製品とは?

 ① カレー
 ② 紅茶
 ③ ビスケット

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 【第22問の解答
 ②でした。「パラマウント・チョコレート」のおまけは,「パラマウント・スターカード」,今で言うハリウッド女優などのカードです。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より