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打率は下がるが安打数は減らない ふり返り366日【08/5/21】

 競争原理に反対,という人の中には,さまざまなタイプの人がいるでしょう。

 まず,競争に伴う「努力が嫌い」なタイプ。

 そして,競争の結果,「よくない結果しか出せないことを嫌がる」タイプ。

 単純に,「人と比べられることが嫌い」なタイプ。

 努力をしたがらない人間は論外として,競争の「過程」を重視しない,結果第一主義である人間が,競争原理に反対するのは,ある意味では道理にかなっており,自分がどのような人間であるかを証明してくれているわけで,納得できます。

 野球のたとえで言うと,毎日1000回素振りをしていた人間と,家では全く素振りをしていない人間が,同じように試合でノーヒットに終わったとき,結果から見たら「同じ」なのでしょうが,「過程」を知っている立場でその人間を見る目が「同じ」であるわけがありませんし,「次のチャンスでの活躍の期待」が「同じ」であるわけがありません。

 競争原理が「同僚性を失わせる」というのは,ある意味では「適正」な結果を招きます。

 つまり,何の努力も工夫もせず,ただただ文句を言っているばかりの教師がそこにいた場合,優先すべきことは何か,ということに気付かせてくれる効果です。「同僚性」が「怠惰容認性」とイコールならば,即刻奪うべき性質なのです。

 怠惰でない教師が互いに支え合い,助け合う態度をとることは,学校の教育効果を高めるにはなくてはならない行為ですが,怠惰な教師たちが互いにかばい合い,隠し合う態度をとることは,マイナスでしかありません。

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08/5/21 同僚性欠如の問題の背景は?

 私は、耳障りのいい言葉、一見誰も疑わないような「美しい言葉」には思考停止に陥らず、その裏にあるものを必ず疑ってかかる習慣があるので、「すべては子どものため」という言葉にもひっかかってしまうのです。
 「すべては子どものために」という発想は、おそらく小学校の教師が、最も陥りやすいわがままに結びつく恐れがあると考えています。
 「子どもが望んでいるんだから、ぜひ○○を実現させてくれ」と訴える教師がいます。他クラス、他学年、学校全体のルールも視野に入らず、ひたすら「子どものために!」と訴える教師(中学校にもいました)。
 こういうときこそ、「忘己利他」の大原則を思い起こしてほしいのです。
 小学校教師の同僚性認識が欠如している背景には、他の教師、他のクラス、他の学年、管理職という「他者」に思いをかけることなく、ただひたすら「忘他利私(子)」になりやすい傾向が反映しているのではないでしょうか。
 「他の教師の努力を認める」「他の教師のいいところを盗む」「他の教師と協力してよりよいものをつくりあげる」・・・そして、自他の評価を高め合う学校づくりが実現すれば、同僚性欠如の問題はクリアできると思います。
 教師は比較されることにひるまず、視野をより広く持ち、全体のレベルアップに努めること・・・イチロー風にいうと、打率より安打数にこだわる(打率は下がることがあるが安打数は減ることがない)評価観をもてれば、競争原理も悪の面ばかりでないことに気付かされるはずです。

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