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教師のツケは子どもが背負って去っていく ふり返り366日【08/5/21-2】

 教員の指導力向上について,学校空間内だけでなく,社会一般にも「それは無理なことだろう」という空気が流れてはいないでしょうか。

 「先生方は勉強する暇なんかないのでは?部活はあるし,生活指導に時間はとられるし・・・

 一般の方からのそういう意見は,よく現場を知っての上のものでしょう(現在のかもしれませんし,自分が生徒だったころの経験からかもしれませんが)。

 果たして,40歳代,50歳代の教師たちにとって,「教え方を今より上手にすること」が可能なのかどうか?

 そもそも,「今より上手な教え方」というのが,どういう教え方をさしているのか,理解できるのかどうか?

 そういう問いに対しての答えまで,一般の方に求めるのは難しいことでしょう(スキルアップが至上課題の職業に就かれている方は別かもしれませんが)。

 しかし,現場の教師はその方法を知っています。

 それは,研究授業を行うことです。

 ただ校内で開くというだけではなく,たとえば中学校なら,同じ教科を教えている教師たちが集まって,授業のことを考え合う場が絶対に必要です。そこに,「自分よりも専門性が高い」と認めている人を招いて,助言をもらったり議論をかわしたりすることが可能になれば,さらに効果は高くなるでしょう。

 こういうチャンスが絶対にない,ということはないのでは?

 ただ,命令されなければやらないという態度でいるか・・・それとも,「自分が一番傷つくこと」が分かっているから避けているか・・・。

 授業というのは,実はその教師が持っている「大部分の能力」が測定されてしまうくらい,教師にとっては「隠しようのない舞台」となります。

 少なくとも,若いころに真剣や批評を受けた経験がない教師にとっては,それまでの20年,30年の価値を低下させてしまうようなコメントを耳にしたくはないでしょう。
 しかし,耳をふさぎ続けてきたツケは自分ではなく,子どもたちが背負って卒業していってくれたわけです。

 改善を図ろうとする意欲のない大人に,そういう態度を身につけるように指導されている子どもが,「教育」の結果,どうなるかは,想像する通りではないでしょうか。

08/5/21 結局、給与が下がるのが気になるの?

 まずろーさんから、以下の記事について、コメントをいただきました。ありがとうございます。
>教師は、能力とか成果とはほとんど関係なく給料がもらえる職業でしたから、「他の教師より劣っていると評価されること」に後ろめたさというか罪悪感のようなものを抱いてしまうので、「競争」という言葉には過剰反応を起こしやすい傾向があります。

 真理を突いたクリティカルな言葉に、他業種にも当てはまる職業はそういった傾向があるのに気づきます。
 人を育てる現場にあれば、もっとコンピテンシーを意識する感覚を持たねばならぬ業種であるのに残念なことです。
 戦国時代のコンピテンシーを重視した武将、武田信玄は城を持たず人を重んじたといいます。
 人は石垣、人こそ財と。
 きらびやかな見た目の財産よりも義や機動力を重んじ家臣こそ大きな財産と認識していたのですね。
 未熟な人間であることを認識している人は強いです。
 だからこそ向上があり競争心を忘れない。
 競争イコール悪という単純な図式は愚かです。

 「競争」に過剰反応する教師の共通した関心事(結局、自分事)に、人事考課による評価の結果が給与に反映されることへの危機感があります。
 このことについて、他のブログに私がコメントした内容があるので、ここで紹介しておきます。
 結局どんな評価基準にしろ、普通の教員の評価はBになるようにできていますはいじめを放置するとか、学習指導に課題があるとか、コミュニケーション能力が低いとか、だれの目から見てもおかしい人がです。は教員から見ても「辞めさせた方が子どものためではないか」というレベルです。(これ、もしかしたらEのランクか?記憶があいまいですみません)
 達成度のレベルが非常に高い(実現困難な)目標をクリアしないと、はなかなかつきません。
 たとえば、文書管理等の事務作業にかかっていた時間を30%以上削減し、そのうち20%以上を「短時間研修タイム(研究成果の5分間プレゼンなど)」に、10%を「生徒の個別面談時間」に振り分ける、とか、「学校行事や校内研修の企画運営をプロジェクトチーム型にし、企画・運営・評価・改善をスムーズに実行することで、『同僚性が高まった』という組織目標の回答率を30%以上UPさせる」とか、具体的な職務目標をたくさん設定してそれらをクリアするとAになります。

 たとえばの話ですが、担任をもたせることができない、授業で学力がつかない、行事運営を任せられない、欠席が多い・・・こんな40代の教師の手取り40万円の給与から、1万円を、新規採用3年目だが、すでに研究発表を2回こなし、崩壊した学級を任されて建て直し、部活動の指導では地区上位の成果を上げ、不登校生徒への家庭訪問や学習指導に尽くし、保護者からの信頼もあつい手取り20万の教師に振り分けてあげることは、大問題でしょうか?
 一般の公務員というのは能力の違いが昇進によって給与の差に反映されるのですが、教諭という立場の教育公務員は、たとえば上記の事例の2人の場合、給与の差は絶対に縮まらないのですね。
 競争原理が「金儲け主義」で理想が失われているという法律関係の仕事の方の嘆きのコメントが別のブログで紹介されていましたが、教育の世界とは完全に別次元の問題であることは明白ですね。

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昭和の家庭史トリビア?【第7問】 
 昭和2年(1927年)の話です。
 消防署への通報番号がある番号から119番に変更されました。
 もとは何番だったのでしょうか。
 ① 112
 ② 115
 ③ 199

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 【第6問の解答
 ③ 毛生え薬だそうです。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
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  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
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    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より