ウェブページ

最近のトラックバック

本の検索・注文


  • サーチする:
    Amazon.co.jp のロゴ

« 京都教育大への抗議はどのようにしたら実るのか? | トップページ | いじめを単純化して考えたい心性を生む新KEGARE思想 ふり返り366日【08/5/16】 »

激しい批判への激しい批判

 日本には,バランス感覚に優れた人が多いような気がします。

 ただ,単にバランスだけを守ろうとすると,こんなことが起こります。

 たとえば,激しい批判への激しい批判

 最近では,逮捕された草なぎ氏に対して激しい批判をした鳩山総務相が激しい批判を受けたような件。

 京都教育大への批判に対する,「悪いのは○○だ」という逆ギレ的な反応。

 教育ブログでも,自分の気に入ったブログへの批判に対して,内容が伴わない「批判返し」を繰り返していた人がいました。

 批判合戦は興味本位で眺めれば見て遊べるものですが,ある問題についての批判を,こっちは悪くない,悪いのはそっちだなどと言い合っていても,解決に結びつくことはまずあり得ないわけです。

 最も関心をもってもらいたいのは現場の「当事者」であって,「内部からの浄化」「内部主導の改善」が求められているのに,いつまでたっても「外部圧力」に変革のきっかけを頼りきっているようではいけません。

リンク: 鳩山邦夫は調子乗りすぎ? - ココログニュース

にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へ
にほんブログ村

« 京都教育大への抗議はどのようにしたら実るのか? | トップページ | いじめを単純化して考えたい心性を生む新KEGARE思想 ふり返り366日【08/5/16】 »

教育」カテゴリの記事

ニュースより」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 激しい批判への激しい批判:

« 京都教育大への抗議はどのようにしたら実るのか? | トップページ | いじめを単純化して考えたい心性を生む新KEGARE思想 ふり返り366日【08/5/16】 »

2021年11月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
無料ブログはココログ

宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より