2世批判の背景にあるものは・・・
歌舞伎など伝統芸能の世界の話とは次元が異なりますが,芸能人,政治家,教師,地方公務員・・・「2世」「3世」の登場やその仕方の問題について興味本位の報道,批判的なムードを隠した報道,批判そのものの報道などが繰り返されています。
このような報道に注目が集まることには,社会全体に広まっている「子どもの就職への不安」も背景にあるのだと考えられます。
私がよく知るのは教師の世界ですが,教師の子どもが教師を目指すケースは少なくありません。
しかし,なかなか教師になれないという話を多く耳にします。
大分の件があるずっと前から,校長などを経験した教師の子どもがすんなり教師になってしまった後,その資質・能力の欠如が明らかになってしまうと,すぐに「疑念」が生じることになっていたでしょう。
ただ,単なる「世襲=悪」という観念がない(というよりは,子どもが親の背中を育って育ち,親を尊敬して,親と同じような職業につくのを願うことに対しては,プラスの価値観の方が大きい)日本では,甘めの評価を「2世教師」にしてしまうことがあります。
教職志望者が減っていることもあり,親が本当に現場で苦労して子どもたちを支えてきた教師の子どもなら,親の苦労をしりながら「よく教師を目指してくれた」と評価されることもあるでしょう。
一方で,大学に進学しても,サークルとバイトと夜の遊びで生活の大部分が消化されてしまう子どもを見るにつけ,その将来に不安を抱えている教師の親ももちろん多いわけです。
その不安が「一家にとって」ではなく,こういう大学生たちが・・・と「将来の日本にとって」の不安として認識されるようであれば,別に他人の2世がどうなろうと問題ないのかもしれませんが,自分の子どもがまさにどうなるかわからない親にとって,「ぬくぬくと2世が職につく」ことは生理的に許されないことなのでしょう。
いずれにせよ,子どもは親の背中を見て育っているわけです。
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