コメントを拒否する教師・批判を許さない学校
私がコメントを拒否された教育ブログの中で,文月さんが間に立って相手の理解を得ようと努力されていたのをたまたま発見いたしました。
そのブログは,「教育に関する失敗」の宝庫と言ってもよく,批判にどう答えるかが教師としての存在意義になるのに,論点が違うとか論旨と関わりがないという理由で回答を拒否し,都合が悪くなると口を閉ざすという「失敗」を重ねていたのがそれ以前の経緯でした。
学校には,批判を「モンスター」扱いし,「正義の味方」「スーパーマン」でないと解決できないようなイメージを拡大することで,無責任と呼ばれるのを回避する傾向がありますが,パターンは全く同じです。
ブログの中では「片手落ち」という不適切な表現を用いるなど,相手を批判する割には非常に脇が甘いのが特徴で,それだけ突っ込みどころが多い記事が目立っています。
私自身が最も嫌う教師のイメージは,子どもに対する好き嫌いをはっきり面と向かって表すようなタイプで,気に入ったコメントが入れば「おっしゃるとおりです」と浮かれ,気に入らないコメントが入ると,表現の自由を制限するために「この件に関するコメントはお控えください」と返してくるセンスはとても不快なのですが,仮にこのような教師と同僚になったとしたら,まさか不快な表情をその教師に向けたまま仕事をするわけにはいきませんから,できるだけ問題を起こされないように根回しをしながら,付き合っていくしかないのでしょう。
ところが,期待を込めて仲立ちになられようとした文月さんに,「某氏と手を取り合うつもりなど全くありません」という宣言をするのは,まるで闘争・対立している組合に入っている教師に向かって叫んでいるような態度です。
教育現場には,このように立場・考え方・態度が全く異なる教師が共存しているからこそ生まれる「良さ」があるのですが,異なる立場・考え方を全く受け付けないような教師の存在は本当に厳しいものがあります。
これは,「資質」の問題なのかもしれません。
こういうタイプの教師たちは,「組織」としての学校の動きのために・・・と言われても,全くピンと来ない人が多いので,自然と共同作業を伴わない分掌の部署専属になってしまい,ますます「孤立化」を深める傾向にあるのです。
ただ,学校は何とかその「資質」が役に立つ場面を必死に考えながら,全体として矛盾のないように動かしています。
私は書き込みしたコメントが削除されても問題がないように大事なコメントは記事の中で紹介したり貼り付けたりしていますが,それらをまとめてみると,両者の言い分がはっきり見えてくるかもしれませんね。
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