ウェブページ

最近のトラックバック

本の検索・注文


  • サーチする:
    Amazon.co.jp のロゴ

« 「体育教師」に対する疑念 | トップページ | 「歴女」が過去のものになる前に ふり返り366日【08/5/10-2】 »

【重要提言】学力格差縮小のための評価制度設計

 「具体的で詳細な評価規準を明示してしまうと,そのことだけにとらわれて学習してしまう問題が出てくる」ということが言われます。

 最小限の学習時間で,最大限の効果を上げる効率的」な学習を進めたい人間には,評価規準(いわゆるノリジュン)があるのは助かるのです。
 さらに,どの程度できればAなのかBなのか,という「評価基準」(いわゆるモトジュン)がわかっていれば,「必要以上の努力」をしなくてよくなるので,Aになったと判断した時点で学習をやめてしまうことができるのです。

 自分の評価を上げたい生徒・・・評価が志望校に合格するための重要な資料になるとするならば,その願いを「筋が違う」ということはできません。

 しかし,「自分だけでしっかり自分のためだけに勉強して,試験でいい点をよればよい」という考え方を放置することができないのも確かです。

 そこで,習得と活用・探究を組み合わせた5段階評価にすれば,どんなにペーパーテストで高得点をとっていても(習得面では十分満足でも),それを活用・探究する場面がなければ「3にしかならない」形をつくることができることをお示ししました。

 学習の評価を「自ら学び自ら考える」生徒の育成から,「平和で民主的な国家・社会の形成者」の基礎を育てようとするより大きな目標の達成に役立つように改善していく,そういう発想が必要です。

 習得した知識・技能の活用については,「だれのために活用するのか」という視点を導入するのです。

 現在の想定では,自分の言葉で説明するとか,自分なりの解釈を加えて論述するとか,個人の能力を高めることばかりに注意が向かっていますが,「説明」や「論述」も「だれのためにするのか」という発想で考えれば,人のため,社会のため,・・・身近なところでは「同じ学習集団に所属する生徒のため,特に習得の部分が十分でない生徒のため」であると考えることもできます。

 生徒が「自分の言葉で表現する」ことの価値は,ただその生徒の中でしっかりと噛み砕かれた理解を確認できるという利点だけでなく,教科書の文章や教師の話という「大人の言語」では分からなかったことが,同じ年代の子どもの言葉でなら分かるようになるかもしれないという可能性を含むものです。

 習得が十分満足に進んだ生徒が,それが十分に進んでいない生徒に自分の知識や技能を使って習得に近づけていくような学習のイメージは,今までも様々なところで論じられてきています。
 
 自分の活用力も向上し,他の生徒の習得度も向上すれば,一挙両得です。

 かつての相対評価のように,だれかの成績が上がればだれかの成績が下がるという,ゼロサムではもちろんだめですが,絶対評価という制度も指導や規準,基準のぶれによって公正なものが作りにくいという最大の欠陥がありました。

 今後は,習得が進んだ生徒が,不十分である生徒に対して自分の成果を披露し,両者の能力・評価結果が向上していくというプラスサムな関係が学校で展開されていくことを望んでいます。
にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へ
にほんブログ村

« 「体育教師」に対する疑念 | トップページ | 「歴女」が過去のものになる前に ふり返り366日【08/5/10-2】 »

教育」カテゴリの記事

学習の評価」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 【重要提言】学力格差縮小のための評価制度設計:

« 「体育教師」に対する疑念 | トップページ | 「歴女」が過去のものになる前に ふり返り366日【08/5/10-2】 »

2021年11月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
無料ブログはココログ

宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より