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« 「歴女」が過去のものになる前に ふり返り366日【08/5/10-2】 | トップページ | 反日教育の最大の効果 »

やはり気になる光景二つ

 先日,部活の顧問会議である学校を訪問しました。

 昔の癖か,何気なく廊下ですれ違う先生方を観察してしまうのですが,

 廊下ですれ違っても,まったく目を合わそうとせず,会釈程度の挨拶には反応しない教師

 廊下ですれ違ったとき,挨拶にはこたえてくれるが,目や顔はこちらを向かない教師

が2人ずつくらいで,大体学校で気になる教師が2割をこえると様々な課題を抱えているか,少数の力に頼りきった生活指導をしているか,どちらかであるという経験則から,心配をしてしまいました。

 これが一つ目の気になる光景でした。

 基本的に,部外者が校内を歩いており,胸に「入校証」をつけていないことを確認したら,一応正面から顔を見ておくという習慣がほしいものです。

 挨拶ができるという当たり前のことは,一部の教師たちにはもっとハードルが高い話なのかもしれません。

 二つ目は,コンビニの前で,ゴミを散らかしながら買ったものを地べたに座って食べている父子の光景です。

 4月以降,教室内や廊下にしゃがんでいる生徒を見たことがない,という学校はどのくらいの比率なのでしょうか。

 新型インフルエンザ対策で,手洗いの励行など,衛生管理に力を入れる学校が増えていると思いますが,これを機会に,もう少し活動の範囲を広げていいのではないかと思われます。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より