よりよい教育を受ける機会とその選択 ふり返り366日【08/5/19】
教育界に求められているのは,「よりよい教育を受ける機会」であり,「競争」そのものではありません。
結果として学校間の「競争」になる「努力」が,悪いことのように見える人がいるのは,それ自体が目的であるかのように思えてしまうからでしょうか。
学校選択自由化というのは,「よりよい教育」を求めての自由な選択が認められるというだけの話です。
その「よりよい教育」というのを,学校側が流す情報から,教育を受ける子どもと受けさせる親が判断する,というのが学校選びの基本的なかたちです。
もし近隣の小規模校は子ども間の切磋琢磨の機会に乏しく,部活動もさかんでなく,希望の部がない,だから少し離れたところであっても大規模校に進学したい,という希望があれば,その希望にかなうようにする・・・そういう選択の機会が今までなかったことが問題だったのではないでしょうか。
仮に,そういう選択を好む人が多ければ,大規模校に子どもが集中する一方で,小規模校の子どもの人数はますます減少しますが,こちらはこちらで「少人数指導」が自動的にできるようになります。
少人数できめの細かい指導を望む親子も少なくないために,学習できる環境が保障されているとみなされれば,小規模校にも子どもは集まってきます。
「よい教育」がどの学校でも行われているものと信頼して,進学をあくまでも受動的に考える親,それまでの友達などとの人間関係を重視して地域の学校に通う子どもなども多いために,特に学校が大きな問題を抱えていない限り,どこかの学校を廃校にすることが自然にできてしまうような自治体はほとんどないでしょう。
地域の学校がなくなろうとしているとき,「卒業生が母校を残してほしいから」と要望しているので子どもをどこかからか集めてくる,それは本末転倒の話です。
08/5/19 競争の結果としての不正行為は競争のせい?利己的な利潤追求の結果、不正行為によって信頼を失う企業が後を絶ちません。
食品の偽装やインサイダー取引という不正行為の問題は、自由競争という原理によってもたらされるものだから、自由競争自体をなくせという人は少ないでしょう。
教育の世界への競争原理の導入に反対する人の代表的な考え方に、たとえば教員の評価で、「数値化できる部分だけで教師の仕事が比較され、給料などが決められてしまうこと」への恐れがあり、その結果として、「教師はひたすらテストの成績を上げることのみに没頭し始め、いじめなどの都合の悪いデータは今以上に隠蔽されるようになる」というものがあります。教職についている人間のモラルも、一部の企業のように低く、とても信頼できる存在ではないという主張もわからなくはないですが、教育の世界には学校の近くに監督権者がおり、現場にも利潤を追求する必要のない管理職がいるわけで、不正の発見や防止の機能が企業より高いことは明らかです。
教師の質が本当に一律に低いものだとしたら、「不正しないのが損」という状況になることは防がなければなりません。しかし、その前提自体が教育の崩壊を物語るものになってしまいます。
競争と聞くと直ちに「勝ち組」「負け組」を想定する人がいますが、一般企業でも、公的な機能が高い私企業ほど、その格差はなかなかつかないのが当然でしょう。
教師は、能力とか成果とはほとんど関係なく給料がもらえる職業でしたから、「他の教師より劣っていると評価されること」に後ろめたさというか罪悪感のようなものを抱いてしまうので、「競争」という言葉には過剰反応を起こしやすい傾向があります。
しかし、学校現場にいればよくわかるように、たとえば能力や成果などで教師に差をつけられる範囲というのはたかが知れています。
○○さんのおかげで学校崩壊状態が1年で立ち直ったとか、担任がかわっただけで崩壊学級が最高の学級になったということはめったにないわけで、そもそもそんな奇跡をおこすことをすべての教師が求められているわけではありません。
当たり前のことを、当たり前にできるように指導してほしい、そういう願いを聞く姿勢を教師が持てるかどうか。
もしそれができない教師ばかりだとしても、競争原理の導入が教育の質を落とすとは考えにくいのですが。
私立の教育の質はもともと低く、それが競争原理のためだと言い切れるのでしょうか。
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