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宙ぶらりんの公立学校教師 ふり返り366日【08/5/17-3】

 教育現場の普通の教師の声が公になることはあまりありません。

 2時間の教育を特集した番組で,出演してわずか一言二言発言する勇気のある人もいますが,私が今まで拝見した番組では,残念ながら公立学校への信頼を高める効果はほとんどありません・・・というか,「やっぱりだめか」という印象を与えるだけのキャラクターになってしまっていました。

 教師の中には子どもを前にすると急に光り出す人がいますから,現場ではそんな教師であると信じたいと思いますが・・・。

 「聖職」というイメージをつくってもらいたくない団体の教師たち。

 「聖職」というイメージにふさわしい教師を求める保護者や子ども,地域社会。

 このかみ合うことのない関係をどうにかするための単純な手段は二つ。

 保護者や子どもが教職を聖職扱いしないこと。

 教師が教職を聖職としてとらえること。

 結局うまくいかないので,公立学校の教師はどっちつかずの宙ぶらりん状態。

 ビジネスとしてわりきれる塾や予備校の教師がいちばん全部の関係の中でしっくりくるポジションについている・・・。

 教育の仕事で理想を語れなくなったらおしまいのような気もしますが・・・。
  
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08/5/17 1、2年契約の子どもの不幸保障

 あるサイトで覆面座談会という企画があり、小学校教師2名労働環境モンスターペアレンツ体罰研修などについて話しているのですが、1ページ目の内容から「またいつものデッチあげ記事か」と思いきや、署名記事だったので驚きました。

 小学校教育は、小中連携事業が行われるようになり、上級学校からのアドバイスや注文、プレッシャーによって、ようやく異常な教育環境の部分が改善されているかと思いたいのですが、「1・2年契約の子どもの不幸保障」からはなかなか脱却できそうにない気がしました。

 「教育という仕事に夢や希望はない」「雑務が忙しすぎて、休み時間に校庭で生徒と遊ぶなんてことができなくなってきた」「バカ親にまで事なかれ主義でペコペコしちゃう」「低学年のうちはほとんどサルと同じです。いくら冷静に言い聞かせようとしても、言葉が脳まで届かない。体罰は必要だと思いますね。」など、単に自分が教職に向いていないだけの話なのですが、他人事のような態度。

 企業関係者の委員が多いと「社会人経験者の大量採用」という提案が出されることがありますが、教員よりいい給与で仕事にやりがいをもって働いている人材は、よほどの使命感がなければ、まず教育現場には入ってこないでしょう。
単に職場の上下関係の訓練を受けているから、上司の命令には忠実に従うだろう、会社員のように将来は必ず管理職を目指すだろう、という感覚で採用すれば、結果は目に見えています。
 小学校では不幸の「分散」や「持ち回り」で不公平感をなくそうと努力していますが、これが「幸福」の分け合いと捉えられるようなレベルに何とかして達してほしいものです。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より