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禁煙によるロスは予想以上? ふり返り366日【08/5/17-2】

 「イライラ」で検索すると,その解消法についてのページが上位を占めています。

 職業人の場合,仕事上のイライラで最も多いのは上司や同僚などとの人間関係でしょうか。

 イライラが重なるとストレスになり,仕事の能率も下がってくるかもしれません。

 愛煙家の人は,タバコを吸うに限る,といったところでしょうか。

 先日,愛煙家の方とお話していたときに,「禁煙」や「分煙」は,日本企業にとってどれくらいのマイナス要因になっているか,ということが話題になりました。

 私が役所にいたとき,喫煙場所に行く(私の場合は自動販売機でお茶などを買いに行く)とほとんど必ずといっていいほど出会う人たちがいました。自席を離れている時間が,かなり長いのではないか?という心配?がわいてきました。

 20年近く前は,学校でも職員室で普通にタバコを吸っている人がいました。

 職員室が禁煙になったのはあっという間の出来事であり,喫煙室すらなくなることになりました。

 喫煙室ができてそこにこもってしまう人が出てきたので教師同士の情報交換が減ったとか,禁煙によって仕事の能率が落ちたことを「教育の荒廃」に結びつける人までいたのを覚えています。

 確かに,喫煙のために席をたつのは,休憩になっていいのかもしれませんが,仕事をしながらタバコが吸えれば,休憩時間を節約することもできる,という考え方もできます。

 デスクの一部が焼肉店の機械のように,煙を吸い込む仕組みになっていれば,タバコを吸いながら仕事ができるようになります。

 コストをかけても仕事の能率を上げた方が収益がよくなる,・・・・そんなことはないか・・・?

 昔,お酒を飲むと話が滑らかになり,授業がうまくなる・・・なんていう人もいました(予備校では,実際に飲みながら授業をする人気講師も昔はいました)が,タバコを吸うと生活指導にキレが生まれる・・・そんなことはあるのでしょうか?
 
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08/5/17 教師のイライラ解消法とは?

 植西聡著「イライラしたときに冷静になる方法」(扶桑社文庫)を読みました。
 教師という職業は、他と比べて「イライラすること」が多いのでしょうか、少ないのでしょうか。
 1年間の中で、最もイライラするのは教育実習期間中です。
 教育実習生は、授業だけをとってもありとあらゆる失敗をしますから、その都度、どうしてもイライラがとまりません。このイライラは、次の授業、さらに次の授業と、ひとつひとつの課題を解決していってくれることでかろうじて解消されていきます。
 だいたい1時間の授業でノートに5~6ページくらいメモをとることになりますが、イライラの原因が積もっていくことがさらにイライラを募らせます。イライラ解消法として、その原因メモを破り捨てるというのが紹介されていますが、今のところ、それは実践していません。
 学習指導でも生徒指導でも、自分が指導者のときはイライラしないように実践すればいいのですが、人の指導(指導できないでいるのを)見ているときはたいへんです。
 どうしてイライラしないでいられるのかと思うだけでイライラが募ります。
 逆コンピテンシーディクショナリーが厚くなっていくことでイライラを解消する、という方策もあるのかもしれませんが、「損をしている生徒」を見逃すのはつらいことです。
 本に紹介されていたイライラ気分を解消する方法の中で、自分が実践していたものをあげると、
甘い物や好きな物を食べる。
掃除をする。
が見つかりました。
 教師としてはなかなかできない著者の提案は、
ガムをかむ。
一流ホテルに泊まる。
ぐっすりと眠る。
などがありました。
 イライラしないでいられる教師が、たとえば学力向上がうまくいかない、問題行動への指導法がわからない、保護者とのコミュニケーションがうまくいかない、などのケースで、次のようなことを実践しているとしたら、つらいものがあります。
○「そんなことには興味がない」と考える。
○「イライラしても何も変わらない」と考える。
○「こんな人のためにイライラするのは損」と考える。
○「もっといいことに時間を使おう」と考える。
○「自分で解決しなくてもいいか」と考える。
○「最悪な状態よりはまし」と考える。
○「そんなに深刻なことではない」と考える。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より
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    「楽毅」第四巻より
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    「歴史の活力」より
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    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 外をもって仕えている者は信用するに足りぬ。つまり男でも女でも内なる容姿というものがあり、その容姿のすぐれている者こそ、依恃(いじ)にあたいする。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 橘という木があります。この木が淮水の南に生ずれば、すなわち橘となります。ところが淮水の北に生ずれば、すなわち枳となります。葉は似ておりますが、実のあじわいはことなります。なにゆえにそうなるかと申しますと、水と土がちがうからです。そのように、その者は斉で生まれ育ったときは盗みをしなかったのに、楚にはいって盗みをしたのです。楚の水と土は、民に盗みをうまくさせようとするところがありませんか
    「晏子」(第四巻)より
  • 倹より奢に入るは易く、奢より倹に入るは難し
    「中国古典の言行録」より
  • 礼儀という熟語がある。礼とは万物を成り立たせている根元に人がどうかかわるかという哲理のことで、儀とは礼をどう表現するかというレトリックをいう。その二つが組み合わさって礼儀ということばが生まれた。
    「春秋の色」より
  • 都邑が矩形であるのは、この大地が巨大な矩形であると想像するところからきている。したがってかぎりない天地と形容するのは正確さに欠ける。大地にはかぎりがある。ただし大地は四方を高い壁でかこまれているわけではない。とにかく独創とか創見というものは、思考が狭い矩形をもたぬということではないか。人はいつのまにか思考を防衛的にしてきた。他者を拒絶しがちである。思考の四方に感情という壁を立てて、他者と共有してきた天を極端にせばめてしまった。
    「子産(下)」より
  • 人というものは、恩は忘れるが、怨みは忘れぬ。
    「孟嘗君 5」より
  • 人はたれにもあやまちがあります。あやまちを犯しても改めれば、これほど善いことはありません。『詩』に、初めはたれでも善いが、終わりを善くする者は鮮(すくな)い、とあるように、あやまちをおぎなう者はすくないのです。
    「沙中の回廊(下)」より
  • 「わたしは侈っている者を烈しく憎まない。なぜなら侈っている者はおのずと滅ぶ。が、なまけている者はどうか。わたしはなまけている者をもっとも憎む」
    「沙中の回廊(下)」より
  • 人を得ようとしたければ、まずその人のために勤めねばならぬ。すなわち、晋が諸侯を従えたいのであれば、諸侯のために骨折りをしなければならない。
    「子産(上)」より
  • 知るということは、活かすということをして、はじめて知るといえる。
    「青雲はるかに(上)」より
  • 師はつねに偉く、弟子はつねに劣っているものでもない。弟子の美点に敬意をいだける師こそ、真に師とよんでさしつかえない人なのではないか。
    「孟嘗君 2」より
  • 人を家にたとえると、目は窓にあたる。窓は外光や外気を室内にとりいれるが、室内の明暗をもうつす。そのように目は心の清濁や明暗をうつす。
    「孟嘗君 2」より
  • 人にものごとを問うということは、質問そのものに、問うた者の叡知があらわれるものである。
    「孟嘗君 3」より
  • 人から嫌われることを、避けようとする者は、心の修養ができていないことである。
    「中国古典の言行録」より
  • 人を利用すれば、かならず人に利用される。・・・企てというのは、人に頼ろうとする気が生じたとき、すでに失敗しているといってよい。
    「太公望 中」より
  • 与えられてばかりで、与えることをしないことを、むさぼると申します。むさぼった者は、なべて終わりがよくない
    「孟夏の太陽」より
  • ・・・料理をつくりながら、人と組織とをみきわめたのか。素材が人であれば、素材を合わせてつくった料理が組織である。それ自体はにがく、からいものでも、他の素材と合わされば、うまさを引きだすことができる。煮るとか蒸すとかいうことが、政治なのかもしれない。
    「太公望 中」より
  • 他人を変革するためには、まず自己を改革しなければならね。
    「太公望 中」より
  • 人が何かを得るには、二通りあります。与えられるか、自分で取るかです。(中略)与えられることになれた者は、その物の価値がわからず、真の保有を知りませんから、けっきょく豊さに達しないのです。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • みじかいなわしかついていないつるべでは、深い井戸の水を汲むことはできない。
    「奇貨居くべし 黄河編」より
  • 人は目にみえるものを信じるが、そのことにはかぎりがあり、けっきょく、人が本当に信じるものは、目にみえぬものだ
    「晏子」第二巻より
  • 人にはそれぞれこだわりがあり、そのこだわりを捨てて、変化してゆく現実や環境に順応してゆくことの、何とむずかしいことか。
    「奇貨居くべし 飛翔篇」より
  • 失敗を心中でひきずりつづけると、起死回生の機をとらえそこなう。それは戦場における教訓にすぎないともいえるが、大きな勝利とは、相手の失敗につけこむのではなく、自分の失敗を活かすところにある。楽毅の信念はそうである。
    「楽毅」第四巻より
  • 人の頭脳のなかの眼力は、木の幹にあたるであろうが、幹をささえるものは知識という葉ではない。根である。根は地上の者ではどうすることもできない伸びかたをする。その根は天から落ちてくる水を吸い、人からあたえられる水も吸って太ってゆく。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 大木にするためには、幹の生長に目をうばわれがちであるが、地中の根を大きく張らせることを忘れてはならない。花を咲かせることをいそぐと、花のあとの結実をおろそかにしてしまう。要するに、大木でなければ豊かな実をつけないということである。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • あらゆる事態を想定して準備を怠らず、変化に対応できるようなトップでいなければならない。
    「中国古典の言行録」より