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「歴女」が過去のものになる前に ふり返り366日【08/5/10-2】

 8割はつくりごとなのに,それがどうにもこんなにつまらないものなのか。

 これは「歴史は,現在と過去との対話である」と言ったE・H・カーの『歴史とは何か』(岩波新書)の巻頭にある言葉の趣旨です。

 「歴史のつまらなさ」の象徴が,歴史教科書でしょうか。

 入試に出題される用語や事項を網羅し,それを覚えやすくするための構成。

 おもしろくなるわけがありません。

 しかし,「つまらないもの」が,「役に立たない」わけではありません。

 読み物のたとえではないのですが,分厚い取扱説明書でも,役に立つ場合があるのです。

 歴史には,もともと多様な論じ方があります。

 歴史学そのものの光と影もあります。

 ものには両面があり,一見,役に立たないように思えることでも,別の角度から見ればとても「使える」ものだったりする・・・。

 歴史はその典型的なものの一つだと考えられます。

 歴史は,多面的・多角的なものの見方・考え方を習得する材料にあふれています。

 「歴女」の誕生を機会に,学校での歴史学習も一大転換=学習指導要領に準拠して実施することを目指してみたらいかがでしょうか。

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08/5/10 社会科教師の逆コンピテンシー その11 歴史と愛情が結びつかない教師

 第11回は、「戦略立案力(④戦略のB調整・統合力)」がテーマです。
 現行の学習指導要領に改訂されたとき、社会科の目標の文言に「愛情」が入ったことに対して、一部の教師たちが強硬に反発しました(改訂は、教育課程審議会の答申における社会科の改善の基本方針に沿って行った仕事であり、突然湧いて出た言葉ではないのですが)。

 小学校では、「我が国の国土と歴史に対する理解と愛情を育て」ること、中学校では、「我が国の国土と歴史に対する理解と愛情を深め」ることが目標の一部となっています。
 このように部分だけ取り上げ、視野を狭くすると問題に感じる人も多くなるのでしょうが、国への愛情を育てたり深めたりすることは、それが究極目標ではなく、「公民的資質の基礎を養う」ために指導することの一つのであるわけです。

 「公民」とは、「国際社会に生きる民主的、平和的な国家・社会の形成者」となる人間のことです。
 「別に日本国民であることを意識させなくても、国際社会に生きる人間としての基礎は養えるのではないか」という批判も想定できますが、子どもの場合は、「日本の国家公務員はみんな外国人でもかまわないか」という議論をさせると、ようやく「国民」や「国益」、「主権」などという言葉の意味がわかってくるようです。

 「国家」には国民を統治し義務を課す機関であるという捉え方と、国民の生命・安全と財産を守る機関という捉え方があるように、「国民」にも、国家への献身を義務づけられる人々という意味と、国家の主権を担う人々という意味があります。

 社会科教師は、さまざまな教材を通してこの両面をバランスよく子どもに認識させ、単なる「社会」ではなく、「国家・社会」の形成者になる資質の基礎を養ってあげる必要があります。

 しかし問題は、マスコミから流される情報が、商業的な理由もあって「義務(負担)を課せられている国民」「義務を課している国家」「責任をとるべき国家」という面を中心に情報を構成し、「義務を果たす(責任をもつ)べき国民」像を提供しようとしないことにあります。
 社会科教師の中には、そのマスコミの仕事を増幅・強化させるような指導に終始する人もいるので、教育政策ではバランスを保つ意味でも、「義務を果たす(責任をもつ)べき国民」像に重点を置かせようとすることは理解できます。
 ところが、結果としてはそれが逆効果になっており、ますます「反国家」指向の教育を導きやすくなっている。

 たとえばそういう教師が最も力を入れる授業が、戦争の歴史でしょう。
 国家と聞くとなぜかすぐに軍国主義を思い浮かべる教師がいます。

 そういう世代の教師が間もなく現場からいなくなることに一部の人たちは危機感を抱いているようですが、そういうタイプの教師の授業を参観すると、子どもの反応は「またか」「またあの酷いビデオを見せられるのか」などと冷ややかなものです。
 どういう感想を書けば教師が喜ぶかよくわかっているので、教師の「個性」に生徒全体が染まっていく不思議な空間ができあがります。

 「ねらいが理解されていない」点など、危機感はもう少し別のところに持つべきなのですが。
 戦略立案力の欠如は、行政レベルでもそうなのですが、教師としてもよく考えていきたいところです。
 「戦争を忌避する」ことと「平和を愛する」ことはイコールのようで、子どもの感じ方のニュアンスは異なってきますし、それを達成するためのレベルが違いすぎます。
 しかし、「我が国の歴史」に「愛情」という言葉がつながってこない世代の教師にはなかなか指導の改善を促すことが難しい。
 こういう例を挙げるとすぐに「あの教科書を支持しているのか」と言われそうですが、あくまでも「多面的・多角的に考察」するという目標をふまえての考えです。
 中国における日本軍の虐殺行為を取り上げる一方で、ソ連軍による中国東北部などでの「火事場泥棒的」侵略・虐殺行為を取り上げることは、戦争というものの実態をより鮮やかに示す指導なのでしょうが、「戦勝国」の「戦争犯罪」にふれない教師も多い。
 免許更新の試験でこんな時代の歴史観を問う問題などは出題されないでしょうが、もし口頭試問でそんな問題が出されたら、試験官と教員の間でどんなバトルが始まるか目に浮かぶようです。
試験問題】 現行の学習指導要領では、第二次世界大戦を扱うときに、何を理解させることを目標としているか、述べなさい。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より