ウェブページ

最近のトラックバック

本の検索・注文


  • サーチする:
    Amazon.co.jp のロゴ

« 学校の休業日分散のアイデア ふり返り366日【08/5/5-1】 | トップページ | 修正成果主義の成功に学べること ふり返り366日【08/5/5-3】 »

「おばちゃん」の最終ページに見る「異動」の意義

 よく読ませていただき,コメントのやりとりも行わせていただいていた「現役おばちゃん教師 日教組の何が悪いのよ!!」という教育ブログの更新がとだえてから2ヶ月が経過し,時期から考えて「異動が原因だろう」と予想していたら,それが的中していたことがわかりました。

 「おばちゃん」は,いわゆる「良い学校」に異動されたわけです。

 ブログで紹介された学校像を引用させていただくと,「荒れとは無縁の学校」だそうです。

 なぜその学校が「荒れとは無縁」であるか,ということについて,「おばちゃん」は学校から「教師の絶え間ない努力・指導の一貫性で維持されてきている」と聞かされ,「同じようにやらなくてはならない」ことの息苦しさに体調をくずされてしまうところまで追い込まれているそうです。

 現場の実態をくわしくリポートするタイプの教育ブログで,一番やりにくいのは「学校が落ち着いていること」でしょう。

 そのような学校現場の中には,組合の教師が中心になって「がんばっている」ところもあるでしょうが,場合によっては「足をひっぱるな」というプレッシャーが組合の教師を直撃するような現場もあるかもしれません。

 何か書こうとすれば,今までは子どもや親に対する問題提起がたくさんできたのが,「研究・研修ばかりで忙しい」とか,文科省の方針がどうとか,学校や行政の方針に対する不平・不満ばかりになってしまいます。疲れを知らない,指導力のある教師に読ませる記事を書くのは難しいものです。

 しかし,「本物の組合活動」「学校とのたたかい」をテーマにしたブログをタイトルどおりに続けてほしいという要望も強いのではないでしょうか。

 私はこのブログの中で,いかに教師の自己中心的・我流の教育活動が「子どもに力をつけさせないでいるか」を述べてきました。

 もし,「おばちゃん」が異動された学校が,「自己流を廃し,本当に子どもの力がつけられる指導を追究し,教師が切磋琢磨しながらよりよい姿を目指している」ところであれば,その「良さ」を伝えていただくという選択肢がとれるのかもしれませんが,それがもし組合を軽視しているようなものであれば,書けなくなるのも致し方ないのでしょうか。

 私個人としては,「良いと思って一枚岩でやっている指導の問題点」の指摘の方が,よほど有益だと思われます。

 「おばちゃん」の紹介された内容からは,「荒れはない」と言っても,それは「力で押さえつけているからだろう」とか,「不登校が多いだろう」とか,「管理」=「悪」教育観の持ち主はすぐに想像するかもしれません。

 しかし,「管理」が子ども本来の力を伸ばし,適切な秩序の中で生き生きして過ごしているのが普通の学校の姿です。「力で押さえつけてでもいいから,とにかく秩序を回復してほしい」と要望されている学校も一部にはあるでしょうが。 

 教師の中には,「荒れている学校の方がやりがいがある」=「教師が子どもに(これは苦しみを抱えている子どもにかなり限定されてしまうのですが)どんどんかかわれる」=「自分が役に立っているという実感が得られる」というタイプの人もいます。

 当たり前のことを当たり前にしているだけで,子どもがみんなすくすく成長していってしまうところでは,「やりがい」はないのかもしれません。
 ただ,「当たり前のことをどう当たり前にやるか」がどれだけ難しいことなのかは,そのような学校に異動しないとわからないものです。

 ぜひ,違うタイトルで,またおもしろい記事を書かれる日をお待ち申し上げております。

にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へ
にほんブログ村

« 学校の休業日分散のアイデア ふり返り366日【08/5/5-1】 | トップページ | 修正成果主義の成功に学べること ふり返り366日【08/5/5-3】 »

教育」カテゴリの記事

コメント

こんにちは、文月です。
kurazohさんもすずめさん特有の素敵な魅力に魅せられたくちですね。(笑)
私もです。他にもすずめさんファンはいらっしゃるようですが。
kurazohさんがすずめさんを大切に思われているお気持ちは、すずめさんにきっと伝わっていると思いますよ。
私の応援する気持ちもすずめ先生に伝わるといいなと思います。
すずめ先生がお元気だと私もうれしいです。
考えてみれば、現役教師の中で、あれほどの魅力のある方はそうそういらっしゃらないですよね。
そこに目を付けられたkurazohさんはさすがです。
また、すずめさんと一緒にみんなで楽しい会話が出来る日がくるといいですね。

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「おばちゃん」の最終ページに見る「異動」の意義:

« 学校の休業日分散のアイデア ふり返り366日【08/5/5-1】 | トップページ | 修正成果主義の成功に学べること ふり返り366日【08/5/5-3】 »

2021年11月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
無料ブログはココログ

宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より