変わらなくてよい学校とは?
学校のあり方を問おうとするとき,「不登校が減ってきているからいい」とか,「暴力行為がおこってない学校だからいい」とか,「今,現在」の姿だけを見てどうこう言うような,せまいスパンの問題設定の仕方で,「教育」を語ることができるのでしょうか。
教育は,「国家百年の計」と言えた時代は,去ってしまったのでしょうか。
教育が直面している最大の問題は,「百年」などという長いスパンでは想像もできないほどの速さで社会が変化していることにあるのかもしれません。
それこそ企業なら,極端な話,一寸先は闇の世界です。
ソースコード問題のように,一年先の大問題にどうそなえるかが課題になっているIT関連企業もあります。
それに対して,今,教育を受けている子どもは,「現時点」において「一寸先は闇」の状態にはありません。
免許更新制度ができたとはいえ,ほとんど絶対的な身分保障がある公立の教師も,そういう意味で,「子どもと同じ」です。
資本主義社会では,子どもの多くは将来,競争社会で生きていくことになるわけです。
それに対して,教師は,「子どものときのまま」です。
教師になった人はそう感じていない人が多いのかもしれませんが,一般の人たちが,みんな「かつて受けてきた公教育で十分満足であった」「今の公教育にも不満はない」と思っているわけでは決してありません。
子どもも同じでしょう。
子どもたちは,より能力を開発し,個性を伸ばしてくれる,明るく楽しい学校生活を求めています。
「公」の側で保障された生活にどっぷり漬かっている人たちに,「私」の世界で強く生き抜く力が育成できるのか,そういう疑問が今,公務員である教師たちに問われているわけです。
国会議員による,官僚がコントロールする仕組みへの挑戦が始まっています。
民主主義の国ならではの挑戦です。
身分保障が困難な議員にも,世襲が多いという問題はありますが,それは不安定な地位ならではの問題であるともいえます。不安定な地位の中,危険をおかしてでも将来の国民のためにやれることをやる。そういう政治家像が広まれば,投票率も上昇するでしょう。
それに対して,選考で通ってしまえば一生安泰という公務員が,自らの権利・利益を維持しようと努力している姿がいかに醜いものであるかということが,ようやく社会・一般に知られるようになりました。
「新しい仕事はしたくない」「同じ給料で仕事を増やされたくない」という愚痴は,「収入を求めて新しい仕事にチャレンジしたい」「仕事をたくさんして給料分のはたらきをしたい」という意欲に比べ,どれだけみっともないものであるか。
「学校は変わらなければならないのか」
・・・子どもや社会の声を無視して,今のままで十分だという認識の学校は,変わらなければならないでしょう。
「学校は変わらないのか」などという投げかけが起こり得ないほどの努力をしている学校は,そのまま変わらなくてよいのです。
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