簡単にできる「血のにじむ」努力
「血のにじむ」努力は簡単にできますが,「血のにじむような」努力はだれでもできるものではありません。
野球では,バットをたくさん振り込むと,手のひらにマメができ,それが破れて血が出ます。
「よくない握り方,振り方をしているからそうなるのだ」と言われます(イチローの手のひらはきれいであることはよく知られています)が,「よい振り方」「よい握り方」を探るためには,コーチからのアドバイスだけではだめで,たくさん振らなければなりません。
振り込みといっても,1000回も振らないうちに,マメができ,血が出ることがあります。
文字通りのままでいうと,これは「血のにじむ」努力をしているように思えてしまいますが,このような行動は「血のにじむような」努力とは言わないわけです。
「一生懸命な姿がいちばん美しい」とは野村監督の言葉ですが,そういう言葉をかけることができるのは,努力を見ている側で,努力をしている側が口に出すことではありません。
教育界は,「仕事がたいへんだ」「苦労ばかりだ」とPRするのが得意です。
特に変化に対応できない人たちは,「変化は必要ない」と訴えたがり,「不易と流行」を全く考えずに「今までどおり」のことを繰り返そうとします。
「今までどおり」のどこが問題であるかはまた改めて記事にしていこうと思いますが,教師たちには「血のにじむ」努力ではなくて,「血のにじむような努力」が求められていることを忘れずに,特に自らに発破をかけるようなつもりでいこうと思います。
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