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教師の「全体を見る目」の欠如が学校の致命的な欠点

[組織的] ブログ村キーワード

 公立学校で,一人一人の教師の力量が高くないことそれ自体は,致命的な問題ではありません。
 
 特に若い教師などは,自分の子どもがよほどの目に合わされない限り,保護者も大目に見てくれるのが普通でしょう。

 では,公立学校への不信がどんなときに高まるかというと,教師たちが「組織」として動いていないことが露呈してしまうときです。

 わかりやすく大雑把な表現をすれば,多くの教師たちは,「全体を見る目」に欠けています。

 多くの学校では「職員室」というものがあり,教師たちが顔を合わせて朝の連絡や休み時間での情報交換等を行っていると考えられています。

 しかし,ここで「子どもにとって大切なこと」ではなく,「自分にとって必要な情報」だけを求める教師が多い学校では,「大切な情報発信」が教師の側から行われることがほとんどなくなります。

 授業(教科経営)や学級経営が教科担任,学級担任という一人の教師を核として実施されているため,何か問題があると,その教師が「私に責任があります」と謝罪することが多くなります。

 この言い方は,実は教師にとって「大切な責任」を負っていないということを暴露している証拠にもなるのです。

 「全体を見る目」の欠如は,「責任をいかに小さくするか」への努力を生んでしまうのです。

 問題があったらとにかくまず「謝ること」が優先される日本では,このような態度は普通のことだと思われるかもしれませんが,本当にその教師だけに責任を負わせるような学校だったとしたら,そこは「学校」ではなく,別々の「だれだれ学級」が単に集まっているだけの場所に過ぎなくなってしまいます。

 なぜそのような問題がおこってしまったのかを本人が分析することはもちろん大切ですが,「学校」という組織がそれを怠ることは許されません。

 組織が問題の分析を怠れば,同じ問題がその学校では繰り返されます

 その都度,かかわった担任だけが謝罪するのでは,レベルが低い学級経営の中で育った子どもと同じになってしまいます。

 いじめで生徒が自殺したときに,管理職がマスコミ対応に当たったりもするのですが,学級で実際にどのようなことがおこっていたのか,自殺した子どもがどういう子どもだったのか,ほとんど知らないのではないかという空気が如実に伝わってくることが多いでしょう。

 若い教師の犯す失敗のうち,経験年数が多い教師がしっかりと指導しておいて,精神レベル・技術レベルを向上させておけば,避けられた問題というのがこれまでどれだけあったのか。

 教師集団の中に,「私自身を批判されたくない」から,「他の教師を批判しない」という全く子どものことを無視した悪習が存続していないか。

 学校は組織として,そのような厳しい目を内部に向ける必要がこれまでどれだけ叫ばれていたのか。

 こういう批判をされたくない教師のブログを読んでいると,教育水準の質的向上がいかに難しいかもよくわかります。

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教育」カテゴリの記事

コメント

吉永さま,コメントありがとうございました。
私は講師の方々にも人事考課制度が適用されることを望んでいます。
サラリーマン教師の中には,高い給与を手にしながらも,少ない労働で「給料分は働いている」「一生懸命やっても給料が増えるわけではないから」と指導の改善努力も研究も何もせず,教壇に立ち続けている人もいるでしょう。
国は教師の資質を「卵」である段階から磨いてもらおうと法整備につとめていますが,やはり現場で能力を磨いていく制度が確立していないと,公教育の質を高めるのは難しいでしょう。

私は高校で講師として教えています。やはり、「批判されたくない」「批判して反感をもたれたくない」という気持ちは、皆持っていると思います。そして、これは教師に限らないと思います。しかし、教師というものは、特に「子供たちに手本を見せる」という責を持つ者ですので、積極的に、「互いの知恵を交換し、高めあう」美徳を獲得、実践しなければならないと思います。授業見学の活発化、忌憚のない意見交換と反感の乗り越え、自己改善など、プロセスを設計し、施行してゆくことができると思います。

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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より