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修正成果主義の成功に学べること ふり返り366日【08/5/5-3】

 日経ビジネス5月11日号は,「成果主義の逆襲」というタイトルで,成果主義の反転攻勢の「狼煙」をテーマに掲げています。

 成果主義に対する不満は現在でも高く,そのことで「成果主義は失敗だ」「企業で失敗しているのだから行政でも導入すべきではない」(なぜか,企業でうまくいっているから行政でも導入すべきだとは聞かれないのですが,企業でうまくいっていないから行政でもうまくいかないという主張は耳にします)という声が聞かれます。

 「成果主義反対派」にとっては都合が悪いことに,「修正成果主義の成功」によって,成果主義が社員の士気を高めるだけでなく,業績を好転させる突破口になることが提言されています。

 成果主義に対する反対理由で多いのは,制度そのものの問題よりも,運用上の問題があることです。

 成果主義による弊害として上位に挙げられている内容は,

1 評価の妥当性を欠く(成果が明確に数字などで表せない職種なので)
2 長期的な仕事に取り組みにくい(目標設定が半年~1年と短いので)
3 チームワークが悪化した(個人の実績が重視されるので)
4 部下や新人の指導育成がおろそかになった

などというものです。
 
 過去の記事でもふれた教育現場での成果主義の導入上の課題と全く同じです。

 そして,原因がはっきりしているので,どう運用すべきかもすでにふれていました。

 企業の場合,成果主義を改善したのは32%改善していないのは67%

 改善したという企業の改善内容は,

1 結果に至るプロセスを評価するウエートを高めた
2 部下指導やほかのメンバーへの協力なども評価するようになった
3 評価基準にチームの成果を加えた
4 評価者の数を増やした

 これらも,すでにブログ内で述べたことと同じです。

 修正成果主義は,企業だけでなく,学校現場でも浸透していくことでしょう。

 政策実行が振り子のようにブレやすい日本の「改革」は,「全否定」「なかったことにすること」が好きだからかもしれません。

 これは,「ケガレ思想」の現代版で,「失敗した(と考えられる)政策にはもう触れることもけがらわしい」と思ってしまう心性が背景にあるのかもしれません。

 そういう前近代的な問題の認識ではなく,どこがなぜ課題なのかを一つ一つクリアしていくことで,「改革」は成功していくと思われます。
 
 そもそも,今まで言われてきた「改革」は,その変化のレベルからいって「修正」に過ぎないようなものが様々なあるのに,「ケガレ思想」によって「修正」では「前段階の悪いものが落ち切れていない」という観念が強く,成功へのインセンティブにならないのかもしれませんが,そこを乗り越えられる社会の智恵がほしいところです。

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08/5/5 社会科教師の逆コンピテンシー その7 指導の「赤字」

 第7~9回は、「③成果」の分野になります。
 この分野では、「生徒が学力の向上を実感できず、学ぶことに充実感がもてない、力がつかない」状況を生んでしまう教師の逆コンピテンシーが課題です。
 今回のテーマは、「成果追求力(③成果のA実行力)」です。逆コンピテンシーは、「成果を問われることに反発する」こと、「子どもの学習成果は問うが、自分の指導の成果は問わない」ことなどです。
 企業の世界では言うまでもなく「成果」がすべてですので、業績にしろ、社会貢献にしろ、「どういう結果が残せたか」が多方面から問われることになります。

 しかし、教育の世界では、「成果」が問われることに対する教師からの反発が非常に大きい。定期考査や入学試験、夏の大会や新人戦などによって必ず「成果」が問われている生徒とは対照的に、量的に測定することが困難な教師の「指導の成果」には、長い間、社会の目も甘かったと言えるでしょう。

 学校内でも、「学校評価」は必ず実施され、どの教育活動がどれだけの成果を収められたのか、残された課題は何かなどを考える仕組みは昔からありましたが、同じ失敗をいつも繰り返していたり、何年経っても成果が出なかったりしたことが放置されていました。
 結局それは、「組織力」の評価であって、個別の教師の問題を浮き彫りにするものではなかったのが最大の原因でしょう。

 それが、学力調査や外部評価、自己申告(業績評価)などによって、否が応でも自分の能力と職務行動に直面せざるを得なくなって、ようやく「子どものできが悪い、勉強をしない」という無責任な見方から、「子どもに身に付けさせたい力を身に付けさせていない、目的に応じた学習をさせていない」自分自身に目が向くようになりました。

 「どうして○組の清掃は毎週毎週こんなにいい加減なのでしょう」「どうしてこのクラスだけ、教室移動が遅いのでしょう」「どうしてこのクラスだけ、忘れ物が多いのでしょう」などという声に、「しっかりやれと指導しているのですが・・・」と答える教師はいませんか?

 それが答えになっていないことに気付かない教師はいませんか?

 学習指導も全く同じです。

 自分の授業が成立しないことを、学級担任のせいにしている教師はいませんか?
 「なかなか実力が上がらなくて・・・」「どうしてこうも今の子どもは勉強が嫌いなのでしょう・・・」
 「成果」に目が向かないと、教師が何のためにいるのかすら自覚できない人をつくってしまうわけです。
 企業での研修でそのことにようやく気づき、「自分がすべきこと」に目が向くようになる教師もいます。
 そういう自覚をもってすら、教育というのは(目標にもよりますが)成果を残しにくいものですので、「成果を給与に反映させるのは反対」という声は、教育の力を過信しすぎている証拠です。本当に成果を出せた教師(チーム、学校)には、成果というより企業で言うところの「赤字」を出してしまった人たちより報われる部分があってもよいでしょう。
 逆に、今まで教師たちは、成果があまりにも出ないことで、自己の防衛機制のために、成果に対する関心から離れていたのかもしれません。

試験問題】 別刷りの冊子は、ある学校の教師が定期考査で出題した問題の一部です。この問題から、教師が生徒に身に付けさせようとした(と考えられる)能力を箇条書きでいくつか挙げなさい。また、この問題の「問題点」について、気が付いたことをいくつか挙げなさい。
試験問題】 あなたのこれまでの教育実践の中で、数字で示せる具体的な成果をいくつか挙げてください。また、数字では表すことのできない成果もいくつか挙げなさい。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より