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学校の休業日分散のアイデア ふり返り366日【08/5/5-1】

[夏休み] ブログ村キーワード

 学校や自治体の裁量権が拡大し,授業時数を確保しさえすれば,長期休業日の中止休業日の分散化の自由が認められた場合,どのような休みの取り方が可能になるのでしょうか。

 この場合の基本的な考え方は,教師や保護者など,大人は基本的に仕事がある日で,子どもにとって,授業が行われない日をどう設定するか,という問題になります。

 2期制の学校は,夏休みを減らした分,学期間の休み(秋休み)をとることができるようになります。

 あるいは,中学校や高等学校の場合,定期考査の後,教師が採点や評価を出す時期に,休みをとることも考えられます。

 新型インフルエンザで休校になった地域のように,「子どもが繁華街にあふれ出す」おそれもありますが。

 まとまった休みが学校によってある程度分散化することで,ゴールデンウィークとか夏休みの行楽地の混雑が緩和されるようになるかもしれません。

 あるいは,関東で教師をしていると,5月とか6月の修学旅行で京都・奈良を訪れるチャンスは多いのですが,なかなか紅葉のシーズンには行けません。

 夏休みは「お盆休み」だけとか,冬休みを「正月休業」,秋の休みを「紅葉狩り休業」などと,ネーミングも観光などに結びつくようなものを自由に考えられるとおもしろそうです。

 もちろん,休業日中の取り組みとして,高校の体験入学ができるとか,博物館などでの体験学習を行うとか,今通っている学校の教師以外の学習指導が受けられる仕組みも必要になってくると思います。

 体育連盟で音頭をとって,学校の休業日を合わせて「春季(夏季)大会週間」をとるなども・・・。

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08/5/5 「夏休み(夏期休業日)」の名称変更

 公立学校でも、普通教室へのエアコン完備が進むと、ますます教師による「夏期講習」「夏期補習」の設定が増える可能性があります。
 学習塾にとっては強敵の出現ですが、教師の必然性のない「自宅研修」が厳しくなっている面もあり、「どうせ学校に出ているんなら遅れている子に勉強を見てあげられるのは今しかない」ということで、子どもはどうかわかりませんが家でごろごろされて困っている保護者も喜ぶ活動になります。
 「先生は日頃忙しいのはわかるが、夏休みがあるのがうらやましい」・・・という世間の目もあります。
 研修や部活、プール指導などの仕事ももちろんあるわけですが、夏休みに毎日帰宅が夜中になるということはあり得ません(自宅の電気代の節約のため、学校のクーラーを使って涼しく過ごす人はいるかもしれませんが)。
 土曜授業が復活すれば、学期中の平日にとれない休日をまとめどりする方式も復活せざるを得ず、有給休暇も大量に取得できる「夏休み」は「夏休み」で全然かまわないと思います。
 学校での「夏期講習」「夏期補習」が常態化すれば、当然、土曜授業と同じように、カリキュラムに組み込まれていくことも考えられます。
 「総合的な学習の時間」のまとめ取り方式なども考えられます。
 土曜なしで時間割を組もうとすると、平日の過密化・行事(とその準備)の削減が進み、子どもも教師も負担感が増すばかりでしょう。
 削られた生徒会行事の復活、特別活動とは別枠の「自治の時間」の創設など、「柔軟な教育課程編成」が最も容易な「特色ある学校づくり」になります。
 校内暴力の嵐が吹き荒れた世代の子どもが中学生になってきています。
 新学習指導要領実施によっておこる問題を想定すると、再度「ゆとり」を目指したとき、使える場所は土曜日と長期休業日しかありません。
 そのときに備えて、「長期休業」というネーミングからまず変えておくべきでしょうか。
 学校で授業が行われていないだけなので、「学習が休み」であるわけではありません。教師にとっても「休日」ではありません。
 「ゆとりと探究の夏」「夏の個別指導期間」「オープンサマースクール」「サマータイム学習」「夏期道場」・・・こういうのが平常の教育課程でとれるゆとりがほしいのですが・・・。
 土曜授業は7~8割の保護者の念願です。夏休みの使い方についてはいかがでしょうか。
 塾関係者の危機感は?

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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より