新聞記者の教育観のどこが問題かー3
問題は簡単に言えば,組合の機関紙のような記事を,読者が公正に判断できないように自分の意図だけが伝わるような情報をもとに書いていることです。
2番目の記事は~ゆがみ生む「教員評価」~でした。
まず,これもタイトルから偏っています。
「人事考課」のもとになっているのは,たとえば東京都の場合,「自己申告書」です。
「国語を教える私を,社会科が専門の校長がどうして評価できるのか」
という,自己申告を提出しない教員の話が載っていましたが,まず,よく考えればわかるように,学校は教科指導の力だけで教師を評価するところではありません。生活指導,進路指導,分掌の職務,研究・研究・・・と様々あります。
教科指導の点だけとってみると,他教科を専門とする管理職が教師を評価するためには,「自己評価」という資料が必要となります。
今の人事考課制度が能力開発型と言われているのは,自分で目標を設定して,研究を進めながら実践し,生徒の実態をふまえながら自分の指導を評価して,改善を図っていくという仕組みを根底にしているからで,そういうプロセスを管理職は資料にして評価を考えるわけです。
「競争=悪」教育観の記者に視野を広げることを求めるのは困難でしょうが,あえて「競争」という言葉で表現すると,自己申告は「(昨年の)自分との競争」がテーマになるわけです。
年配の教師の場合,その授業を若い教師が参考にして,まだ拙い学習指導をどんどん改善できるなら,たとえ年配の教師にとって「前の年よりも指導力が向上」しなくても,教科指導に限って言えば,一定のレベルの職務行動を果たしているといえるかもしれません。
ただ,生徒から「あの(年配の)教師より,新採の教師の授業の方がおもしろいしわかりやすい。テストでも高い点を取れるようになった・・・」などと言われる可能性があるのが公立学校の教育現場です。
年配の教師は,授業を見てもらうだけでなく,自分でも若い教師の授業から学びながら,自分の指導力を常に向上させていく意欲をもたなければなりません。
あえて人事考課制度の難点を言えば,そういう「意欲」が自発的なものではなく,「評価があるからやる」という外発的な動機によって自己変革を図る,あるいは教育公務員にありがちな「上司(あるいは教育委員会)の言うことだから聞きたくない」からやらない,という教師が見えてくることですが,そういう実態を明らかにすることがマスコミ本来の仕事ではないかと考えています。
公務員の中で,教師がマスコミからたたかれにくく,逆に「同情を買わせる」ように仕向けられるのは,「悪いお上」+「お代官=管理職」にいじめられている「弱い教師(老いも若きも同列の・・・職も能力も同列でも給料だけは全然違うのですが・・・)」という公式が新聞向きだからでしょう。
しかし,「子ども不在」の教育観だけは,どうしようもありません。
でも,「子どもは新聞を読まない」のでそれもどうしようもないのかもしれませんが。
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( ̄ー ̄)ニヤリ
>自分の大変さを言いたがる人は,自分に協力してくれる人がいないこと,チームワークで教育できる環境にないことを証明している人でもあるでしょう。
自己分析ができているじゃん。 (^O^)
投稿: いちろう | 2009/04/19 14:59
自分の大変さを言いたがる人は,自分に協力してくれる人がいないこと,チームワークで教育できる環境にないことを証明している人でもあるでしょう。
あるいは,そういう人に仕事をふらずにすませられる学校は,余裕がある学校と言えるかもしれません。
投稿: kurazoh | 2009/04/18 20:13
自分の大変さを言いたがる人は、たいてい仕事のできない人です。これは公務員に限らず、どこの職場でも同じでしょう。ただ、そういう人種が多いと現場は苦労するでしょうね。
投稿: Psyche | 2009/04/18 13:19