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全国学力調査の定着後の動き ふり返り366日【08/4/5】

[学力テスト] ブログ村キーワード

 もし全国学力調査が,5教科で実施されるようになり,(あるいは小論文など,「言語活動」の充実度を測定できるものも含めて)大学のセンター試験のように,最高学年の2月頃実施されて,中学校や高校への進学の資料として使われるように変わっていくようになるとしたら,教育界にはどのような変化が見られるようになるでしょうか。

 さすがに「言語活動の充実」が求められる時代になって,マークシート方式オンリーでは話にならないでしょう。

 記述の部分についての採点業務は上級学校のものになってしまいますが。 

 採点基準は学校ごとに決めればよいわけですが,基準を検討する必要が出てくるような問題を採点者が嫌うとしたら,その採点者が行っている授業がどんなものか容易に想像することができます。
 
 各都道府県別に作成している公立高校の入試問題が統一されたら。

 もちろん,「自校作成問題」でないと選抜できない一部の国公立や私立はあって当然です。

 ナショナル・スタンダード,あるいはナショナル・ミニマムに対して現在よりも注目が集まることになるでしょう。 

 よりよい問題を競い合ってつくっていく,そうことも大切なのですが,そういう業務に時間を割かれるより,日常の研究や授業実践を充実させることが先決でしょう。

 教科書が似たり寄ったりになってしまったり,発行部数が少ない教科書会社がつぶれたりする問題はでてくるでしょうが・・・。

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08/4/5 全国学力調査で分析可能なこと

 学力調査の結果で分析してみる価値があるのは、学校内の得点分布や評定との相関です。
 校内・地域内の学力格差や評定の信頼性は、平均点からだけでは見えません。

 以前の相対評価では、正規分布といって、真ん中にヤマがあり、成績上位と下位にいくにつれて人数が減っていく分布を前提にして評定がつけられていました。

 現在の絶対評価では、たとえば東京都が公表しているデータによると、平成20年度は全教科の平均で、5(十分満足のうち特に優れている)が13.5%、4(十分満足)が25.9%、3(おおむね満足)が42.7%、2が13.6%、1が4.3%で、かなりよい方に偏っている分布になっています。 

 学習指導要領が最低基準を示すものだとすると、学校としては少なくとも1や2を減らす努力をするよう指導されますので、1や2がつかないような基準をつくった結果、「満足できない」状況にある生徒は18%しかいないことになっていますが、いかがでしょうか。
 学力低下大合唱に乗っている人から見れば、「こんな評定は信用できない」と思われるかもしれませんが、評価の信頼性を担保する手段として、全国の学力調査の結果を使うという手も考えられます。

 ただ、公立高校の入試問題以上にこの調査の問題は易しすぎるので、分析方法は限られてきます。
 本当に、「満足できない」学習状況の子どもは5人に1人もいないのか。
 余談になりますが、新しい学習指導要領が完全実施になると、この割合は確実に増えることが予想されます。

 その20%の子どもが抱えている学力格差を埋める努力をすることを教育課程でうたっておきながら、十分に指導していないのが公立学校であり、いままで選択教科で補習的な学習をしてきた学校が、その時数削減によってそれすらできなくなる危惧があります。

 その問題を、通常の授業でクリアしていくために欠かせない存在として、成績上位層の存在を以前に述べました。では、学習状況が「十分満足である」(観点別評価ならAがつく生徒)が、本当に39.4%もいるのか
 この約4割の生徒を抽出して、全国学力調査の平均点を比較するという方法も考えられます。
 しかし、犬山市を筆頭に、「信頼できないデータ」を集計しようとする行政は今の日本にはどこにもいないでしょうから、行政のひもつきでない研究機関が果たすべき存在意義が問われてきます。

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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より