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現行の「よさ」が生きて本当の「改善」となる ふり返り366日【08/4/8】

[学習指導要領] ブログ村キーワード

 現行の学習指導要領で学んでいる子どもたちは,総授業時数は歴史的に見ても少ないものの,学校の教師たちの「創意工夫」によって「最適化」が図られるよう構成された教育課程で学ぶことができています。

 しかも,小6と中3の4月には,基礎・基本だけでなく,それらを活用して考える力,表現する力がついているかどうかを評価してもらえる仕組みが整い始めています。

 テストのときだけできればよいような基礎・基本ではなくて,それが生きて使えるものになっていることが実感できるような問題で評価してあげることによって,子どもの学習意欲は向上していくでしょう。

 新学習指導要領では,内容が増えた分,「詰め込み教育」になる恐れを抱いている人も多いですが,現行の学習指導要領に沿った教育が実践できてきた教師に教わることができれば,心配はありません。

 ・・・という捉え方ができないと,1年前に記したような批判に対してもちませんね。

 現行の教育の「よさ」が生きることで,本当の「改善」となります

 「よさ」が継承されないと,「逆戻り」「振り出しに戻る」「改悪」になります。

 「よさ」が実践で示されなかったための「改善」と捉える向きが一般的ではあるのですが・・・。

08/4/8 今の子どもには損を甘受しろと?

 「改善された学習指導要領」が告示されたのに、「改善される前の“問題がある”学習指導要領」に沿って教育を受ける今の世代は、将来何とよばれることになるのでしょう?

 中学校で新学習指導要領が平成24年に完全実施になっても、小学校の5年間は旧課程で学んだ子どもたちです。平成23年に小学校に入学して新教育課程を受けるようになった1年生が、中学校3年になる平成31年には、すでに次の学習指導要領が告示されているわけです。
 どこから「新学習指導要領の成果」が測れるのでしょうか?

 いずれにせよ、公立学校の入試問題に影響があるわけではないのですが、「何だか損をしている感じ」が子どもにも保護者にもあるのではないでしょうか。

 そのことについて、学校はどのように回答することができるのでしょう。
 「移行期間」の計画と指導のねらいはすでに練られているでしょうか。

 まだ新学習指導要領の解説も教科書もできてないわけだから、それができた後でよい、ということでしょうか。

 中学受験を指導する塾のテキストを見ると、そんなことはおかまいなしの高度な内容をずーっと変わらず教え込んでいるようです。塾の教育?を受けている子どもたちやその保護者にはほとんど関係がない話なのかもしれませんが、「塾にいかなくてもすむ学校教育」などという難問をつきつけられている公立学校にできることとは何でしょうか。

 新学習指導要領の内容、改訂の趣旨、移行期間の課題については、講習の機会が多いかと思いますが、文科省はいちいち学校や研究会に出て行って話をするのではなく、HPに動画による解説を載せ、教員だけでなく保護者もすべて勉強できるようにするといいですね。「親は知っているのに先生は知らなかった」という恥を避けるために教員も熱心に見てくれるかもしれません。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より