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WBC・「何のために」戦う野球が「本物」なのか?

 WBCの決戦を終えて,アメリカや韓国のメディア,ネット上でどのような評価がなされているかの紹介が「ココログニュース」などで行われています。

 短期決戦では,単に成績が良い,調子が良い選手を集めたというだけでは,いい結果を生むことができるとは限りません。可能性は高くなるのでしょうが,まさにその試合で力を出さないと勝てないわけです。

 日本対韓国戦も,一つ一つのプレーが見る側をも極度に緊張させる名勝負で,最終的な勝敗の行方も紙一重の世界だったと思います。

 アメリカの報道にあった「本物の野球」という表現が,最高の褒め言葉だと思いますが,「自分や家族のために戦う野球」ではなく,「チームのために戦う野球」という「野球道」が,アメリカに根付くかどうかは疑問ですね。

 日本代表の勝利報告会の様子が中継されていました。

 選手たちに「話術」や「教育力」までを求めるのは酷かもしれませんが,やはり教科書にも登場している王さんのコメントはすばらしいものでした。
 
 野球選手が野球だけで魅せることができるのは,長い人生の中ではわずかな期間です。

 「野球道」の素晴らしさはプレーで魅せるのが本道だとしても,古田のような解説,野村監督のようなマスコミウケするぼやきなど,「話術」で楽しませてくれる現役選手が登場してくれると,もっとメジャーなスポーツになっていくような気がします。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より