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WBC・決勝戦に向けて気がかりなこと

 準決勝の日本対アメリカ戦の一部を見て気がかりになったことの第一は,城島捕手のリードがかなり読まれているか,あるいはサインがばれている可能性があったということです。

 単なるデータから導かれるものであれば,裏をかくことが可能なのでまだよいのですが,何らかの方法で球種が分かってしまっているとすると,横や縦の変化で揺さぶろうとしている日本にとっては不利な状況になります。

 今大会では,もうさすがに「世紀の誤審」は起こらないと思いますが,ハーフスイングに対する判断はまちまちのような気がしており,試合の流れを左右するきっかけになる予感がします。

 残りの気がかりは,やはりイチローのバットでしょうか。

 決勝の韓国戦は,この大会で2勝2敗どうしの決戦ですから,勝てば本物のワールドチャンピオンです。

 勝っても負けても,今後,侍ジャパンの選手たちがどのようなモチベーションでペナントレースを戦うことになるのかにも興味があります。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より