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「これからの時代」のことを考える必要がない?教師たち

[教師] ブログ村キーワード

 教育の現場に入ってから,「どうして年配の教師たちはこんなに新しいことが嫌いなのだろう」と実感したことがたびたびありました。

 自治活動がさかんな学校を卒業した私は,きちんと筋さえ通っていれば,教師たちは生徒の言い分を聞いてくれるし,やりたいことをやらせてくれる,そんな感覚がしみついていました。

 しかし,自分が教師になってから,身近にいる教師というのは,新しいことの導入にいたって消極的で,自分のやり方とか,先例とか,そういう「過去のもの」を大事にして,変化させないことに力を注いでいる,そんな風に見えました。

 「不易」の価値を知るなど,教師としての経験を重ねていくうちに,その理由がよく分かったこともありましたが,「変化しないこと」は楽なことであり,惰性で流れていくので負担がかからない,そういう方に重い価値を置いている人が少なくないこともよくわかってきました。

 学習指導要領の改訂に際しても,そもそもその変化の内容を知ろうとしない人がいるのにはびっくりしました。

 授業時数が減ったのに,以前と全く同じ授業しかしないので,当然,全部が終わらなくなる。

 年間指導計画というものがつくられていない時代もあったのです。

 そういう時代と比べると,今は少しはましになったのでしょうか。

 改訂された学習指導要領の内容に興味がない教師が多いということは,さらにその先,これからの時代を生きる子どもにはどのような力が特に必要となってくるか?などということには,関心も何もないのでしょう。

 「これからの時代」云々は,教育の世界だけの話ではありません。その読みを誤れば未来がなくなる世界もあれば,国や世界レベルでも問われるべき課題です。

 教育の世界では,「公共の精神」の大切さなど,不易のはずなのに「公」のものになっていなかったものもあるなど,「不易」の実態すらはっきりしていません

 現実としての社会の変化のスピードは非常に早く,親が経験はおろか想像したこともないことを子どもが当たり前のようにしていたり社会に出たら雇用のかたちが変わってきたりと,「同じことを経験してきただれかに教えてもらえる安心感」が薄れてきているのが現代の特色であるといえます。

 「これからの時代」は,実はそれほど先のことではなく,「今,変わりつつあるこの時代」も含めてのイメージとして捉えるべきであり,だからこそ「何が今後大切なのか」をしっかり議論すべきことが大事なのでしょう。

 そこで,「先のことは分からない」ではなく,その変化を想定してもなお,「このことが大切だ」と言い切れる力が学校には必要なわけです。

 今後は,公務員ですら,「今までと同じことをしていればいい」という立場の人間ではなくなっていくでしょう。

 「未来のことは分からないのだからだれのどんな言葉も信じない」というのも一つの生き方でしょうし,「今までのままでいい」という判断を下すのはいっこうにかまわないのですが,それを新しい苦労をしないですむ自分への言い訳と捉えられずにすむほど教師は信頼されている存在ではないでしょう

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» 教育言説についての疑問 [学校教育を考える]
いろいろな教育関係の書物や, あるいは教育関係の審議会報告などを読んで いつも疑問に思うことがある。 「これからの時代は,○○する力が大切である」 「これからの時代は,○○型の学力が必要である」 などの見解が随所に述べられているのである。 よくわからないのは, 「これからの時代」がどんな時代かということを どうして知り得たのかということである。 そして,その時代に○○する力や○○型の学力が必要だと どのような根拠から言えるのかということである。 そのあたりがどうもはっきりしない。 したがっ... [続きを読む]

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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より