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WBC・野村監督との見解の相違

 古田が野球解説の力量を見せつけた,韓国の三塁線を抜けるヒット。

 痛恨の1点に対して,野村監督は,シュートを続けた城島を責めていたようですが,私は内角シュート攻めは正解だったと考えています。

 山を張られたとしても,打球はそれほど強烈ではなく,村田が捕球できればベースを踏み,1塁転送でダブルプレーというイメージもありました。

 球審はテレビの画面から見ると,かなりバッターよりに立っており,右バッターのインコースのストライクゾーンが広いことも攻めの材料だったと思います。

 岩隈はこの点を取られた回に若干制球を乱しており,高めに浮く可能性がある変化球よりは,引っかけてくれる可能性が高いシュートを選んだリードは悪くなかったのですが,場面の状況だと三塁線を固めておくのが常識だったところを村田がサボっていたのが,計算外だったということになります。

 プロ野球選手は,わざと三塁線をあけているように見せかけて,打つ瞬間に少し移動するという技を使うこともありますから,ベンチからは声もかけずらくて,結果としては「何も考えていなかった」ことが分かった時点では遅かった,ということでした。

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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
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    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より