「教材」から「教財」へ 「学習材」から「学習財」へ
以下、Z会寺西さんのブログへコメントさせていただいた内容を再構成して掲載します。
寺西さんは、教育再生会議などが提言する「ポジティブリスト」の問題点を取りあげていました。
このブログでも、苅谷剛彦がそれについてネガティブに捉えていることを紹介したことがありました。
私の場合は、ポジティブリストはあくまでもポジティブに捉えていこうとする考え方をとっています。
だいたい、教育再生会議のようなものは、構成員も含め、会議の性質上、その提言がポジティブリストになるのは避けられないことでしょう。
ただ、すべて突拍子もないようなものではないですね。平凡なものです。
予算の会計年度ごと、9月始まりに移行する、などといったレベルの大胆さはありません。
私は、財界だけではなくて、様々な立場の社会人が教育への関心を高めつつあるという「ポジティブ」な受け止め方をしています。
もちろん私にもその中には、小学校英語など、「これはいかがなものか」と思えるものもあります。
ただ、教師の側では、このような社会からの要請に対して、その優先順位をしっかり示せる学校ごとの「経営力」「企画力」「指導力」「見極め力」は求められてしかりだと考えています。
コミュニケーションの取り方が下手で、国語の指導も満足にできない教師に英語活動を頑張らせても意味がないように、教師一人一人の能力の見極めも重要になってきます。
各学校では、毎年きちんとテーマを定めて研修を行うのが普通ですが、総花的にやるタイプの学校の教育力はたいてい低く、一つのテーマ、例えば「IT機器の活用」でじっくり全員が研究授業に取り組むような学校は教師の指導力が高くなっていく傾向があります。
教育の場合、優先順位を決め、あることに力を入れたとき、カットしたことによるデメリットより、その他の面にも良い影響が及び、状況が好転するきっかけになるというメリットが目立つケースが多々あります。
何でもやろうとする企業、やらせようとする経営者を寺西さんは批判されていますが、それはその通りです。
では、どんなことに重点を置いて、研修をしたり、教育活動を展開したらよいのか。
あるいは、重点をおくべきところははっきりしているのだが、そこに注力していこうという全教師の「やる気」をおこさせるにはどうしたらいいのか。
子どもだけではなく、教師にも、何かを特に「学びたい」と思わせる「教師用教材」が必要になってくるのかもしれません。
子どもだけでなく、大人にとっても、学習向け刺激剤(刺激「材」?)というのは必要です。
それで学ぶスイッチが入ったとしたら、「材」から「財」へ、社会的な財産、「教財」「学習財」になるでしょう。
*個人的には、「教育財政」という用語が略して「教財」などと使われていることに少し不満が・・・。
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