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小中連携に期待したい施策 ふり返り366日【08/3/6-2】

 小学校の教師にしろ,中学校の教師にしろ,自分の小中学生時代を振り返ってみれば,どのような年齢の子どもの「理解」が難しいか,容易に想像がつくものでしょう。

 だいたい,指導で困難を極める子どものパターンは,「どうしてこんなに悩んでいる自分の気持ちがわかってくれないのか!」と相手の立場になって想像することができない心理状態にあるのが原因です。

 そして,「わかってあげているつもりになってくれている大人」との付き合いが長ければ長いほど,その後で「本当の自分の姿」が見えるようになるまでに時間がかかるものです。

 小中一貫の取り組みをしているような学校では,できるだけ早い時期に,「本当の自分」と向き合わせることが可能になるのでしょうが,表面上の問題の発生時期が早まることになるので,当初はそんなにスムーズにはいかないでしょう

 ですが,ぜひとも行ってほしい施策です。

 小中一貫校での実のある研究が進めば,将来的には,小学校高学年は現在の中学校と同じような「学年・教科組織」に移行していくことになるでしょう。

 そして,そうすることが,学力向上だけでなく,生活指導上でもかなり大きな効果が上げられることが期待できます。

 今,行政の現場では,指導主事は小学校・中学校籍がごっちゃになって指導事務を行っていますから,中学校側の主導権が強いところで,どんどん進めていってほしいものです。

 もしそのような取り組みが難しいのであれば,教員免許の区分をしっかり踏まえて,小学校と中学校・高校で指導行政を分けた方がよほど効果が高いのでしょうが,それでは今までどおり,小学校での負の遺産を返しきれないで終わってしまうことになるのが痛いところです。

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08/3/6 偽装「心の病」にどう対処するか

昔から「保健室いりびたり症候群」というものがありました。
 カウンセラー的な資質が高い養護教諭がいると、とにかく休み時間ごとに話を聞いてもらいたくてやってくる生徒が出てくる。

 養護教諭の中には「物理的な病気・けがの人優先」として、ただぶらぶらやってくる生徒を排除する人もいます(あとは保健室にカギをかけて職員室にいるか)が、実際に、保健室が不登校の生徒の居場所になっている学校が多いのではないでしょうか
 スクールカウンセラーが来ても、保健室で話をするという学校もあります。

 養護教諭が親切?だと、「嫌いな授業」があるときに、悩みを打ち明けにくる。

 「心の病」偽装という強力な技です。

 カウンセリングを受けていることが周知されている生徒には、ふつう、教師は「強い指導」を行いません。

 中学生で髪染め、ピアス、極端なミニスカートなどは指導の対象でしょうが、「心の病」を抱えている生徒には、「不登校にならないで来ているだけで十分である」という感覚になってしまい、事実上、黙認の態度を取りがちです。

 この指導のぶれを生徒は敏感に感じ取って、「私は今、苦しんでいる」ことにし、学校をときどき休みながら、好き勝手なことを繰り返す。

 親も、問題行動への指導に対して、「子どもを不登校にさせる気ですか」と逆ギレして反省しようとしない。 
学校はどう対処したらよいのでしょうか。
 問題行動といった調査と同じように統計をとられるので、不登校=悪という固定観念をもっているかもしれませんが、まず、それを捨てる。

 不登校はいけないことではない。登校が、必ずしも本人にとって望ましいものではない、ということを共通認識することが必要です。そうすれば、「偽装」する意味がなくなります。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より