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子どもが感じ取る教師の規範意識 ふり返り366日【08/2/24-1】

 競争原理に否定的な教師の態度は,当然のことですが,その負の側面を忌避していることが背景にあります。

 ただ,これも当然のことですが,競争原理は社会をより良くしていく方法の一つでもあります。

 負の側面への忌避には,たとえば「努力も嫌いだが,競争には負けたくないという一心で行われる不正」が行われること(実際にテストの答案の書き換えなど,教師も不正を起こすものであることが実証されています)の想定もあります。

 このような想定があること自体,教師は自分たちに対する誇り」と「信頼を失っている証拠になります。

 企業による偽装行為などの不正は,消費者への直接的な被害とか,存続が危ぶまれるほどの信用失墜を招くことになりますが,教師の場合は,社会の方も「やっぱりやったか」という程度の認識だったり,処分が行われなければ「子どものことを思って軽い気持ちでやってしまった」という言い訳ですまされてしまう可能性もあります。

 ルールを守ろうとしない,そういう態度を子どもにとって最も身近な教師がとってはなりません。
 時間にルーズなところなど,教師の規範意識のレベルの低さが子どもに与えている悪影響は以前にもふれたことがありました。

 現行の学習指導要領を最初に読んだときも痛感したことですが,ここで育てようとしている人間像は,実はまず第一に教師たちに求められている人間像であるということです

 「不易」にすがろうとする教師たちは,それが実現されない原因を「社会の変化」というものに求めようとします

 しかし,社会が変化するのは当たり前であって,「不易流行」の考え方がない限り,時代に取り残されてしまうのは明らかです。

 特に現在が厳しい状況にあるのは,その社会の変化のスピードが上がってきていることと,変化によってもたらされる課題への対応が容易なものではないということがわかっているからです。

 ですからたとえば競争原理の利点を最大限に活用しながら,それが引き起こす問題には厳正に対処していくような姿勢とか,競争原理の負の面が出にくいシステムを構築するとか,そういう「現実的な対応」が求められているわけです。

 「自ら学び,自ら考える力」「問題解決力」のある教師が求められています。

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08/2/24 「子どもは公立に預けるな!」その3

 公立をひとくくりにすると、どんどん新設されている中高一貫校はどうか。
 以前にふれたとおり、公立の中高一貫校は「ゆとり教育」の充実とセットで設置が構想されたものですから、和田秀樹の主張にしたがうと「薦められない」学校に含まれることになります

 TVで放映されたインタビューでも、「進学のため」というよりは、「高校のときに受験がなくてすむから選んだ」という子どもの素直な動機が報道されていました。

 こういう学校の場合、塾に通い、高校進学段階で、大学進学実績のよい私立高校を受験したくなる生徒が出てくるかもしれません。それについてはここでは触れませんが、学校側にとっては定員管理の難しい問題です。

 著書で和田秀樹は、「進学実績のデータがないから態度は保留」としています。
 国立はどうか。
 国立の中には地方だと附属高校がなかったり、都内だと小学校から上がってくる生徒が多くて定員が少ないために難関だったり、小学校からは学力が高くない生徒が多く進学するので大学進学実績はたいしてよくないなどの理由があって、和田の理念から言うと薦められなくなるようです。

 なぜ「学歴」が必要になるかについて和田は、前回紹介したように、「これから学歴社会になること」「より厳しい競争社会になること」が根拠のようです。

 和田は教員批判をしていませんが、「競争原理の排除」を訴える教師がいる公立学校には絶望しています
 子どもにどこまで「競争力」を求めるか。議論が必要なところです。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より