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授業中の教師の「注意」 ふり返り366日【08/2/17-2】

 「子どもの集中力が持続しない

という悩みをもつ教師は多いようです。
 
 意地悪く,「会議のときの教師のようにですか?」と聞き返すことはしませんが,確かに授業の進行に支障をきたすような,子どもの「手持ち無沙汰」加減がエスカレートすると,「どうにかして授業に向かわせる手はないものか」と必死になるのもうなずけます。

 必死に「授業技術」に関する本を読んだり,教材研究に没頭したりする・・・。

 しかし子どもの目から見ると,「授業の質を高めて授業妨害を防止しようとする心がまえ」は理解できるが,「とにかくうるさい人をその場でだまらせてほしい」という願いの方も切実なようです。

 教師というのは,「静かにしなさい」などという「自由の規制」に当たるような行為を避けたがる人が多いようで,話を聞かない生徒がいようが騒いでいようがお構いなしに自分の話を進めるタイプがいます。

 それが一部の子どもには我慢ができないようで,怒りの矛先はうるさくしている生徒だけでなく,教師にも向けられてしまっています。

 ある教師は,授業時間の中で,「3回だけ,注意を与えることにしている」そうです。

 2回では少なく,4回では多い・・・その微妙なところは何となくですがわかります。

 ゆとりが出てくると,教材で振り向かせる自信があるそのポイントまでは注意せずに引っ張っていき,振り向く瞬間の子どもの変化を楽しみにする・・・なんて技も使えるのかもしれませんが・・・。

 いずれにせよ,授業時数が増えたという情報で,子どもが「嫌だなあ」と不満を覚えるような授業はしたくないものです。

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08/2/17 日経新聞 授業時間増「どう生かす」

 日経の社会面では、今日から「学校は変わるか 新学習指導要領」の特集が組まれています。
 記事の取材は現行のもとでの学校の工夫を紹介していますが、1回目のコンセプトは「授業の時間が増えればそれだけ子どもの集中力の持続が難しくなる」というもので、朝の運動や昼の瞑想の時間、45分授業の実施が紹介されていました。
 相変わらず新聞では問題の本質を直視せずに表面的な「だれでもわかる」ことしか記事にしないようなので、学校の方からは「これからどう変えるか」を発信しなければなりません。これを「どう変えるのか、文科省、教育委員会は教えてくれ」という姿勢ではなく、どれだけ「自分たちのアタマで考えられるか」が課題になりそうです。
 「どう生かすか」は「改訂の基本的考え方」に示されています。
 記事では「学習指導要領」を「教えの手引書」と表現しているので、比較的高齢の記者が担当していることが予想されます。この「手引書」という用語ですが、多くの小学校教師が「手引書」として使えているのは教科書会社が作成している「教師用指導書」くらいで、年度末に出される指導要領の「解説」ですら読まない教師がいるくらいですから、ねらいから見ても実態から見ても適切な表現方法ではないことがわかります。 
 現在ですら「集中力が持続しない」子どもの実態、教師の指導の実態をふまえないと、不登校やいじめ等が増加したとき、この新学習指導要領の「詰め込み」がよくなかったという結論ですまされてしまいそうです。
 増えた時間にドリルをたくさんやらせる教師が増えそうなことを予測して、「新しい評価観」を提言することが「変わる学校」の役割です。

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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より