生徒がキレるタイミング ふり返り366日【08/2/15-1】
言語活動の充実という改訂の趣旨が明らかになったときに、最初に思い浮かんだのが、「言葉よりも先に体が動いていくタイプ」の子どもの指導でした。
授業中のエスケイプの常習者でも、中にはコンビニに行ったり校庭に遊びに行ったりするのではなく、トイレに行くために教室を離れるケースがあるわけです。
普段、見て見ぬふりをしてしまう教師が、こういうタイミングで子どもに注意するのが、事件のもとになります。
罵声の浴びせ合いが想像つきますか?
「社会人らしい言語活動」「中学生らしい言語活動」が、その場からは消え去ってしまいます。
たった一言、「トイレ」だけでも、問題は起こらないですむ。
「どうしたの?」だけでも、普通の言葉のやりとりが期待できる。それなのに・・・・。
そんな場面がどれだけあったことか。
問題行動を繰り返す生徒だけに課題があったわけではありません。
度重なる嫌がらせに、「嫌です」と言えない生徒。
かばわなければならない側の生徒も、いつしか「何で言い返さないの?」などと追い詰めてしまうケースもしばしば。
寡黙が美徳とされた武士道の精神が、まだ生きているということでしょうか・・・?。
充実した言語活動が学校現場に根付くために、「言語活動の場」「言語活動の時間」をしっかりと意識して確保することが、授業でもその他の教育活動でも求められていると考えられます。
2008/02/15 「言葉」による指導 “しょう”さんに取り上げていただいたコメントの一部を改変してご紹介します。 私が困難校で経験したことは、中学生の場合ですが、自分の感情や考えを言葉で表現することが苦手な子どもが非常に多いということです。人をけなす単語は次々に飛び出すのですが、まとまった意味のあるフレーズを語ることができませんでした。 私が「問題」としたことは、荒廃した家庭でも教室でも、「言葉」を使った課題の整理や解決が行われていないこと。自分に対して本気で向き合うための「道徳」の時間が、全くいい加減であること。 教員間では、たったこれだけの「課題認識」を共有化するだけで、「何を指導すべきか」はわかるのですが、経験不足のために「どう指導すべきか」がなかなかついてきませんでした。 数々のステップを経て、「本来すべきである教師の役割」に気付いた教師が口にするのは、結局、学習指導要領やその解説に書いてあることをする、あるいはしようとすることが大事だ、ということでした。
« 大学教師にも必要な「教員免許」 | トップページ | すべてをポイントに換算すると・・? ふり返り366日【08/2/15-2】 »
「教育」カテゴリの記事
- 教員になりたての人がすぐ辞める理由(2019.01.12)
- 教育は「願ったもの勝ち」「言ったもの勝ち」ではない(2019.01.08)
- 「一人も見捨てない」は罪な要求である(2019.01.04)
- 列で並ぶこと自体が好きな?日本人(2019.01.01)
「言語活動の充実」カテゴリの記事
- 寝た子を起こす教育(2018.05.01)
- 日本語は筆の力が物を言う(2018.04.28)
- 授業では,「わかったつもりになっている子ども」を罠にはめることも大事(2017.08.25)
- すでに「深い学び」への関心が高まっている(2017.06.24)
- 教科独自の「見方・考え方」を働かせて「深い学び」を実現させようという考え方自体が,「教科」にこだわり,タコツボ型大学教師たちの既得権益を守ろうとする,硬直的で一面的な「見方・考え方」しかできないことを示している(2016.11.09)
この記事へのコメントは終了しました。
« 大学教師にも必要な「教員免許」 | トップページ | すべてをポイントに換算すると・・? ふり返り366日【08/2/15-2】 »
コメント