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職場の一体感 ふり返り366日【08/2/13】

 何年も前から「構想」だけで何の進展もしてないかった教師だけのスポーツ大会が、昨年末に実施することができました。
 
 一番心配していたのが怪我でしたが、予想以上に年輩の先生方も動きがよく(それがまた危ないのですが)、気温も暖かだったこともあり、大成功に終わりました。

 近所の空き地で野球をやるのが当たり前だった世代は、歳を重ねても「嫌らしいプレー」が自然とでき、経験の重み?を実感させてくれます。

 教師たちが和気あいあいと汗が流せる「ゆとり」の時間が今の忙しい現場ではなかなか取れないものだと言いますが、最も忙しい時間をぬっての実施ができただけに、今後の期待も膨らみます。

 一体感のできる職場というのは、とてもいいものです。

 時間にゆとりのある小学校などでは、学校対抗のバレーボール大会などがさかんなところもあるでしょう。

 子どももそのような試合で活躍する先生方の姿を、本当は真剣になって応援したいものなのかもしれません。

2008/02/13 教師が「生きがいを追求できる」学校とは?

ハイ・コンセプト「モノ」よりも「生きがい」
 「もの」より「思い出」というCMのコピーがありました。
 教師にとって大切なのは、「残業手当」より仕事の「やりがい」でしょうか。
 学校が、一人一人の教師にとって「生きがいを追求できる場」になるためには、どういう条件が必要なのでしょうか。また、どういう制約が不必要なのでしょうか。
 私の場合は、保護者たちが参加する地域のスポーツチームにさそってもらい、その一員として体を動かしていたことが、生きがいの一部になっていました。今は子どもが在学している学校のPTAチームが優先ですが。
 私は社会科の教員ですが、2校目の学校の1年目に、夏休みの20日間、数学と英語の補習を実施しました。みなさん寛大によくやらせてもらったなという実感です。参加してくれた生徒も、よくついてきてくれました。
 大学時代に塾講師や家庭教師のバイトをやってから教師を本気で志望した経緯がある自分は、原点の一つに受験指導というのがあり、ボランティアで実施してかつ成績が上がった生徒には賞品もプレゼントするなど、今から考えればとんでもないことをしたものです。「機会均等」に反する、「」の営業妨害だ、と袋だたきでしょう・・・。
 中には塾に通いながら学校の補習に出てきた生徒もいました(塾のテキストの質問にも丁寧に答えてあげました・・・)。この活動で成績上位の子どもたちから認められたことが、その後、学校を建て直すのに役立ったのを覚えています。他教科の指導も夏休みという時間ですが現場でやった経験が、総合の構想などで生きました。
 社会科教師としての生きがいには、徹底した現地調査を通した教材づくりというのがあります。特に教育実習の教材を1年間かけてつくった経験も教師としての原点になっているため、現在も長期休業中に休暇をとって学校の外に出るのも抵抗がありません。大学時代は交通費が安く済みましたが、今はきつい。できれば旅費がほしいものです。
 最近特に残念だと思うのは、教師が高齢化しているためか、校内の教師たちと一緒にスポーツレクで汗を流すことが全くなくなってしまったことです。企画をたのまれているのですが、すぐだれか大けがをしそうなので、躊躇しています。
 90歳になったら何をしているか・・・。私は母校で教員をしているので死ぬまでちょっかいを出していたいですね。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より