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小学校からの負の遺産 ふり返り366日【08/2/12-2】

 小学校ではいわゆる「人物学習」として歴史を学ぶのですが、「時代背景がわからないと歴史上の人物の仕事の意義もわからない」というので、結局、中学校のような政治や社会の学習にまでふみこんでしまうような学習事例を散見します。
 「内容が難しくなる」ので、「よくわからなくなる。」「自分の言葉で説明できなくなる。」・・・当たり前のことです。

 実は小学校教育の中でもいろいろな意味で問題が多いのが社会科であり、その最も大きな影響が子どもの「社会科嫌い」として出てしまっています

 さらにその背景には、教師の「社会科嫌い」があることは言うまでもありません。

 大事な場面はビデオ頼り、展開は指導書に出ている自分でもできそうなところだけ力を入れる。

 そのために翌年には中学校の「通史学習」をひかえている子どもたちに、「体験型学習」と称して総合に毛がはえたようなことを教えてしまう。

 授業改善の基本は、「あのとき学んだ学習の意味や意義はわかっていましたか?」「楽しかったですか?」「学びがいはありましたか?」と子どもに問うことであり、それを怠ってきた長い歴史をここでは転換していかなればなりません。

 平和教育だけに重点をおく教師とか、カルタ遊びに興じることに重点をおく教師とか、何でもありの状況を改善することが、学力向上への第一歩でしょう。
 

08/2/12
最も印象の薄い時代とは?
 義務教育の歴史の学習で、最も印象の薄い時代というのはいつでしょうか。
 それぞれの時代には特に印象的な人物や事件があるので、時代ごとのだいたいのイメージは浮かべられるかもしれませんが、少し時期が限定されるだけで「ほとんど知らない」空白の時間があることに気づきます。
 小学校も中学校も、簡単な戦後史にふれることになっていますが、授業がそこまで「進んだ」人の割合はどのくらいでしょう。「三丁目の夕日」の時代も教科書には載っていますが、20代までの人で当時の生活がイメージできる人はいるでしょうか。
 また、戦時下の生活はくわしく学ぶとしても、1920年代から40年代の日本はどうなっていたか、説明することは難しいのでは。戦後の占領期、日本にいた米兵に「ギブ・ミー・チョコレート」とせがんでいる子どもたちをビデオで見たことがある人は多いかもしれませんが、子どもたちはそのとき初めてチョコにふれたわけではなく、戦前にも森永と明治製菓のチョコが売られていたんですね。
 中学校程度の「薄さ」で歴史を学ぶと、暗いの時代の前にあった繁栄がイメージできません。明治の前の江戸のイメージさえ、まだ「暗黒性」で彩られている印象があります。
 歴史学習では「どういう経緯でそうなった」「なぜそうなった」かを考えるトレーニングをしますが、そういう材料が十分に与えられないで学んでしまうと、非常に一面的な歴史認識・時代のイメージが生まれてしまいます
 時間の制約という縛りが結果として「多面的・多角的なものの見方や考え方を養う」基盤を奪ってしまっている好例です。
 教師は「受験にでないからいいや」という安易な発想ではなく、授業のどこに「本物の重点」をおくか、指導計画とにらめっこしながら練り上げなければいけません。
 「ここ大事ですよ・・・」は子どもに気づかせることであって、教師が言うせりふではありません。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より