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中世人気質の増加の危険性 ふり返り366日【08/2/12-1】

 恐喝等の書き込みで逮捕者が相次いでいることから、ネット上でも実は「透明人間」ではいられないことが周知されつつあり、同じような事件は減っていくことになると思いますが、「この程度なら」という甘い認識で、人を傷つけようとする行為をやめない人は、残念ながら後をたたないでしょう

 批判的な記事を真に受けて、あたかも自分が批判を受けたように感じ、過剰反応に出るタイプの人の共通点は、愚痴が言える「仲間」がいないか、同じレベルの仲間しかいないかのどちらかではないでしょうか。
 普段、「人と接触すること」が極端に少ない人の中にも、当然ですが「おかしな人たち」を冷静に判断できる人はいるでしょう。

 こんなことを「興味深い」と言っては失礼かもしれませんが、現代人の一部に、「中世人タイプ」が増えてきていることが気になっています。命の軽さも、異常な名誉心も、すぐキレルことも、粘着質な性格も、中世人ならではの行動に近いものが最近増えてきます。
 
 このような人たちは、一般的な社会生活を送ってきた人から見ると、理解しにくい行動に出ることが多く、それだけ距離が離れていってしまうのです。

 しかし、このようなタイプの人が「いじめられる対象」になるとき、「折中の法」を持ち出すのは危険です。

 「いじめられて当然」という空気が小中学校にないとは限りません。

 どの時点から予防が可能なのか、学校はしっかり考えるべき時にきています。

2008/02/12 文科省「ネット上のいじめ問題」に対する4つの呼びかけ  文部科学省は12日、「ネット上のいじめ問題」に対する4つのよびかけという保護者向けのリーフレットを作成し、各学校に配付することを発表しました。  4つの呼びかけとは、 「利用の実態」に目を向けよう! 「情報モラル」についてしっかり学ぼう! 「チェック体制」を強化しよう! 「いじめられた子ども」を守り通そう!  というもので、子どもが利用できる内容やその危険性の理解してはいけないこととチェック体制の確認いじめにあったときにすべきことを学校と相談しているかを訴えています。  しかし、いつの間にか「いじめ」が示す行動の範囲はずい分広がったものです。  学校だから「いじめ」という用語を使うという安直な注意喚起ではなくて、この際、名誉毀損や誹謗中傷という言葉を使って理解させてもよいのかもしれません。「犯人」は特定が可能だということも。  また、「情報モラル」という特化した問題ではなくて、「そもそも」というレベルで社会のルールやマナーを学ばせるきっかけにしてほしいものです。

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教育」カテゴリの記事

コメント

(´,_ゝ`)プッ
>問題の解決には、現場を知ろうとしない保護者の方の協力も必要となります。

何回すればいいの?

中国の冷凍食品より、わが社の冷凍食品の方が危ないのです。それは、産地の農家の管理ができていないので…と。そうやって不安を煽らないと、わが社の製品はよくなりません。
…というのが暗象の考えだけど、結局のところ、暗象は責任を他の先生たちにかぶせ、自分は何もせずに親などの外圧で良くしようと考えているようだけど、無責任すぎない?

まぁ、暗象にとっては同じことの繰り返しで、不都合なコメントを下に追いやりたいだけなんだよね。
今までも、何回もしてきた…。
私の協力的な姿勢に感謝してね!!  (^_^)

「世間に学校不信を広めたいのか?」

問題の解決には、現場を知ろうとしない保護者の方の協力も必要となります。

問題が起こった後、しかも、問題を隠されていた後の対応では、問題はこじれるばかりであり、なかなか解決へはたどりつけません。

保護者も学校のことをもっとよく知るべきであり、早い時期から言うべきことは言っておかなければなりません。

ψ(`∇´)ψ
最新のコメント欄がないから、
いるうちにやりとりしとかなきゃ、
結局、書きっぱなしになる。

実際、今日のコメントで少しは自覚できたんじゃないの?

心当たりが多すぎると忙しくなりますね。

(・∀・)ニヤニヤ

>「この程度なら」という甘い認識で、人を傷つけようとする行為をやめない人は、残念ながら後をたたないでしょう。

本当にそうですね。
質問に答えないから悪いことをしているはずだと決めつけ、ストレートに書くとダメだという逃げの中で、そういうニュアンスで、伝言ゲームをしていく。

人を傷つけたがる先生って、何だろう?
最悪は、それを自覚せずに行う先生だよね、暗象。

(。・w・。 )

>「いじめられて当然」という空気が小中学校にないとは限りません。

ないとは限らないということは、あるんだね暗象のところには。もしくは、身近にそういう事実があることを知っているんだね。
で、暗象は何をしたんだ?
解決に向けての努力をしたのか?
仲間がいないからネットで愚痴っているのか?
世間に学校不信を広めたいのか?

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より
  • 目くばりをするということは、実際にそこに目を遏(とど)めなければならぬ。目には呪力がある。防禦の念力をこめてみた壁は破られにくく、武器もまた損壊しにくい。人にはふしぎな力がある。古代の人はそれをよく知っていた。が、現代人はそれを忘れている。
    「楽毅」第1巻より
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    「楽毅」第1巻より
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    「歴史の活力」より
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    「春秋の色」より
  • 都邑が矩形であるのは、この大地が巨大な矩形であると想像するところからきている。したがってかぎりない天地と形容するのは正確さに欠ける。大地にはかぎりがある。ただし大地は四方を高い壁でかこまれているわけではない。とにかく独創とか創見というものは、思考が狭い矩形をもたぬということではないか。人はいつのまにか思考を防衛的にしてきた。他者を拒絶しがちである。思考の四方に感情という壁を立てて、他者と共有してきた天を極端にせばめてしまった。
    「子産(下)」より
  • 人というものは、恩は忘れるが、怨みは忘れぬ。
    「孟嘗君 5」より
  • 人はたれにもあやまちがあります。あやまちを犯しても改めれば、これほど善いことはありません。『詩』に、初めはたれでも善いが、終わりを善くする者は鮮(すくな)い、とあるように、あやまちをおぎなう者はすくないのです。
    「沙中の回廊(下)」より
  • 「わたしは侈っている者を烈しく憎まない。なぜなら侈っている者はおのずと滅ぶ。が、なまけている者はどうか。わたしはなまけている者をもっとも憎む」
    「沙中の回廊(下)」より
  • 人を得ようとしたければ、まずその人のために勤めねばならぬ。すなわち、晋が諸侯を従えたいのであれば、諸侯のために骨折りをしなければならない。
    「子産(上)」より
  • 知るということは、活かすということをして、はじめて知るといえる。
    「青雲はるかに(上)」より
  • 師はつねに偉く、弟子はつねに劣っているものでもない。弟子の美点に敬意をいだける師こそ、真に師とよんでさしつかえない人なのではないか。
    「孟嘗君 2」より
  • 人を家にたとえると、目は窓にあたる。窓は外光や外気を室内にとりいれるが、室内の明暗をもうつす。そのように目は心の清濁や明暗をうつす。
    「孟嘗君 2」より
  • 人にものごとを問うということは、質問そのものに、問うた者の叡知があらわれるものである。
    「孟嘗君 3」より
  • 人から嫌われることを、避けようとする者は、心の修養ができていないことである。
    「中国古典の言行録」より
  • 人を利用すれば、かならず人に利用される。・・・企てというのは、人に頼ろうとする気が生じたとき、すでに失敗しているといってよい。
    「太公望 中」より
  • 与えられてばかりで、与えることをしないことを、むさぼると申します。むさぼった者は、なべて終わりがよくない
    「孟夏の太陽」より
  • ・・・料理をつくりながら、人と組織とをみきわめたのか。素材が人であれば、素材を合わせてつくった料理が組織である。それ自体はにがく、からいものでも、他の素材と合わされば、うまさを引きだすことができる。煮るとか蒸すとかいうことが、政治なのかもしれない。
    「太公望 中」より
  • 他人を変革するためには、まず自己を改革しなければならね。
    「太公望 中」より
  • 人が何かを得るには、二通りあります。与えられるか、自分で取るかです。(中略)与えられることになれた者は、その物の価値がわからず、真の保有を知りませんから、けっきょく豊さに達しないのです。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • みじかいなわしかついていないつるべでは、深い井戸の水を汲むことはできない。
    「奇貨居くべし 黄河編」より
  • 人は目にみえるものを信じるが、そのことにはかぎりがあり、けっきょく、人が本当に信じるものは、目にみえぬものだ
    「晏子」第二巻より
  • 人にはそれぞれこだわりがあり、そのこだわりを捨てて、変化してゆく現実や環境に順応してゆくことの、何とむずかしいことか。
    「奇貨居くべし 飛翔篇」より
  • 失敗を心中でひきずりつづけると、起死回生の機をとらえそこなう。それは戦場における教訓にすぎないともいえるが、大きな勝利とは、相手の失敗につけこむのではなく、自分の失敗を活かすところにある。楽毅の信念はそうである。
    「楽毅」第四巻より
  • 人の頭脳のなかの眼力は、木の幹にあたるであろうが、幹をささえるものは知識という葉ではない。根である。根は地上の者ではどうすることもできない伸びかたをする。その根は天から落ちてくる水を吸い、人からあたえられる水も吸って太ってゆく。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 大木にするためには、幹の生長に目をうばわれがちであるが、地中の根を大きく張らせることを忘れてはならない。花を咲かせることをいそぐと、花のあとの結実をおろそかにしてしまう。要するに、大木でなければ豊かな実をつけないということである。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • あらゆる事態を想定して準備を怠らず、変化に対応できるようなトップでいなければならない。
    「中国古典の言行録」より