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少人数の学級編成を可能にする?「Lサイズ机」効果

 公立・私立を問わず、すべての学校の中で、最も天板(?というのでしょうか)の面積が大きな机を生徒が使っている学校はどこでしょうか。

 学校が購入している普通の机は、おそらく多くの人が、「いろいろな本を広げて授業を受けるのには小さかった(せまかった)」という実感をお持ちではないでしょうか。

 普通の机は、掃除のときなどに持ち運んだり、重ねたりすること、あるいは教室の広さを想定して最も適したサイズということで決まっているのでしょう。

 中学校でも教科書のサイズが大きくなり、たとえば社会科では教科書と資料集、地図帳とノートなどを同時に開いて見ることは不可能になっています。

 もしもの話ですが、児童・生徒の机の大きさが、今より一回り大きなものの方が、学習の効率・能率が向上し、学力がより高く身に付くようになったと証明されたら、教室のサイズは変更できませんから、大きな机を人数分おくために、40人より少ない学級編成を実現させる根拠になりますね。

 あるいは、オープンスペースの学校(教室の壁がない)を見学して「いい空間だなあ」と実感したのは、廊下にあたるような空間に、数人の会議や模造紙を広げて書くなどの作業ができる大きな机(周囲に数人が座れる大きさ)が置いてあることでした。

 通常の教室内に、そのような大型の机があるイメージは、だれも持っていないと思いますが、極少人数の学校ではそれが可能でしょう。

 黒板などは使わずに、小回りのきくホワイトボードで十分かもしれません。

 学校という学習空間を、生徒の立場から、見直す機会があるとよいですね。

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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より