ウェブページ

最近のトラックバック

本の検索・注文


  • サーチする:
    Amazon.co.jp のロゴ

« 「授業がつまらない」教師の言い訳 | トップページ | 金儲けのための検定試験 »

リーダー不在の研究活動

 しょうさんがブログのコメント欄でおっしゃっていたように、

組合の教育研究活動や民間教育研究団体の自主的な活動は今よりもはるかに活気あるものでした。

というのは、その通りだったと思います。

 私は今は学会の方が中心ですが、公立学校の教師の研究グループには、最低でも3~4グループ同時進行で参加していました。
 それにプラスα、教育委員会の研修です。

 現在の研究会活動は、とても低調であるとうかがっています。
 
 一番の原因は高齢化です。

 なお、しょうさんのコメントでは、「20年前は今日のような人事考課の動きはありませんでしたが、」という部分とのつながりには疑問を感じています。

 人事考課の動きがでてきたから研究活動の活気がなくなったというのは、評価されるのが嫌だから勉強しなくなった、という意味になってしまいます。

 20年前の研究活動が活発だったのは、そのときのリーダー役のベテラン教師、校長、指導主事が優秀だったことと、何よりも「一緒に学ぶ
同年齢の若い教師
」が非常に多かったことがその背景でしょう。

 教員の年代別人数を見れば一目瞭然です。

 今、自主的な研究活動が低調になっている。

 それは、決して、官制の研修が多くなったからではありません。

 今は、当時にはない、土曜日が休日であるという好条件もあるのにです。

 大きな理由は、リーダーがいないからです。

 同年代の集団でやってきた教師たちが、フラット型組織に慣れきって、そのまま歳をとっただけなので、本来は指導的な役割を担わなければならないのに、後輩を育てることもできなくなっているのです。

 これは、社会の変化のスピードが早くなったことも背景にはあるでしょう。

 そういう時代を生き抜く子どもを育てようとしていますから、指導者自身が変化に対応できないでいたら、後輩教師はおろか、子どもに教える余裕すらありません

 それが現在の学校の問題を象徴している一側面でしょう。

 なぜあれだけ熱心に研究していた人たちが、その成果を今の現場で生かせないのでしょう?

 よい実践が継承されないのはなぜでしょう?

 それは、一つの見方ですが、ゼロサムで目立ちにくかった地盤沈下に気付くことができず、その負の遺産が、プラスサムが可能になった時点でマイナスサム状態から抜け出せない現状の原因になってしまっているからです。

« 「授業がつまらない」教師の言い訳 | トップページ | 金儲けのための検定試験 »

教育」カテゴリの記事

コメント

m9(^Д^)プギャー

>どの世代の全員がどうとかいう話ではありません

だったら、高齢化に原因を求めるのは変だよ。

ここではどの世代の全員がどうとかいう話ではありませんね。

(*^m^)

>専門書は読まない、学習指導要領は読めない、指導法の議論ができないでは、研究もなにもないでしょう。

何の回答にもなっていないが?
引用部分は、どの世代の先生なんだ?
暗象の説では、団塊の世代は、研究活動をしてきたんだから若い世代のことだと思うが、もしそうなら、以前の総合学習でのやりとりと“説”を変えたのですか…と問うています。

経営とは別に、研究活動というのは教師にとってその専門的教養を高めていくためにも必要なものなのですが、その経験がなく、研究方法すらわからない教師ばかりになってしまっているのが現状でしょう。
研究活動は地道なものであり、それ自体が評価対象になるというより、その成果を生かした教育活動で「子どもにかえす」ことが重要なのです。
専門書は読まない、学習指導要領は読めない、指導法の議論ができないでは、研究もなにもないでしょう。
保護者の立場では学校の研究・研修活動の内実を知ることが難しいのですが、授業参観だけではなく、いわゆる公開授業に足を運ばれると、その成果がうかがえるかもしれません。
その学校の「研究紀要」の読み方というのもあるのですが、教師が入れ替わって忘れられているようなものでは役に立たないわけです。

(´,_ゝ`)プッ

>フラット型組織に慣れきって、そのまま歳をとっただけなので、本来は指導的な役割を担わなければならないのに、後輩を育てることもできなくなっているのです。

ここもフラット型組織批判に使われるのか…。(^_^)
暗象の日々の説では、
教えられたように教えるんじゃなかったっけ?
便利な説だこと。

私も一番の原因は高齢化だと思うよ。
でも、人事評価が入ると、価値観の多様性がなくなるから、正解(評価をする側の人の考え)を求めることがたやすくなり、自由闊達な意見交換が無くなるのも評価制度の常識だよ。
研究活動がどんなものかはわからない部分があるけど、それが必要なものであれば、誰でも分かる高齢化ぐらい対策をとっておくべきだし、人事評価が原因の一つと分析できれば、その対策をとればいい。
暗象は、説を批判するんじゃなくて、人を批判するから低レベルなものになるんだよ。(^_^)

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/92794/44196189

この記事へのトラックバック一覧です: リーダー不在の研究活動:

« 「授業がつまらない」教師の言い訳 | トップページ | 金儲けのための検定試験 »

2017年6月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30  
無料ブログはココログ

宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より
  • 目くばりをするということは、実際にそこに目を遏(とど)めなければならぬ。目には呪力がある。防禦の念力をこめてみた壁は破られにくく、武器もまた損壊しにくい。人にはふしぎな力がある。古代の人はそれをよく知っていた。が、現代人はそれを忘れている。
    「楽毅」第1巻より
  • 知恵というものは、おのれの意のままにならぬ現状をはげしく認識して生ずるものなのである。
    「楽毅」第1巻より
  • 会う人がちがえば、ちがう自己があらわれるということであろうか。
    「奇貨居くべし 黄河編」より
  • 静寂に染まりきれば、ふたたび起つことはない。生きるということは、起つ、ということだ。自然の静謐に異をとなえることだ。さわがしさを放つことだ。自分のさわがしさを嫌悪するようになれば、人は死ぬ。
    「楽毅」第四巻より
  • 人というものは、自分のやっていることをたれもみていないと思い込んでいるが、じつはたれかがみており、やがて賛同してくれる人があらわれる。
    「春秋の名君」より
  • 寵を受けても驕らず、驕っても高い位を望まず、低い地位にいながら怨まず、怨んでもおのれを抑えることのできる人は少ない
    「沈黙の王」より
  • 小さな信義が、きちんとはたされてこそ、それがつもりつもって、大きな信義を成り立たせる。それゆえに、明君は、小さな信義をおろそかにせず、つねに信義をつむように、心がけるものである
    「歴史の活力」より
  • 奥の深いことと、表現がむずかしいこととは、むしろ逆の関係にある。むずかしい表現のほうが、ぞんがい簡単なことをいっている場合が多く、やさしい表現のほうが、奥の深いことをいえる。
    「歴史の活力」より
  • 黄河の流れは悠久とやむことはない。河床もあがりつづけるのである。いくら堤防の高さをましてもらちのないことであった。
    「侠骨記」より
  • 人はおのれのままで在りたい。それは願望とはいえぬほどそこはかとないものでありながら、じつは最大の欲望である。人の世は、自分が自分であることをゆるさない。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 外をもって仕えている者は信用するに足りぬ。つまり男でも女でも内なる容姿というものがあり、その容姿のすぐれている者こそ、依恃(いじ)にあたいする。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 橘という木があります。この木が淮水の南に生ずれば、すなわち橘となります。ところが淮水の北に生ずれば、すなわち枳となります。葉は似ておりますが、実のあじわいはことなります。なにゆえにそうなるかと申しますと、水と土がちがうからです。そのように、その者は斉で生まれ育ったときは盗みをしなかったのに、楚にはいって盗みをしたのです。楚の水と土は、民に盗みをうまくさせようとするところがありませんか
    「晏子」(第四巻)より
  • 倹より奢に入るは易く、奢より倹に入るは難し
    「中国古典の言行録」より
  • 礼儀という熟語がある。礼とは万物を成り立たせている根元に人がどうかかわるかという哲理のことで、儀とは礼をどう表現するかというレトリックをいう。その二つが組み合わさって礼儀ということばが生まれた。
    「春秋の色」より
  • 都邑が矩形であるのは、この大地が巨大な矩形であると想像するところからきている。したがってかぎりない天地と形容するのは正確さに欠ける。大地にはかぎりがある。ただし大地は四方を高い壁でかこまれているわけではない。とにかく独創とか創見というものは、思考が狭い矩形をもたぬということではないか。人はいつのまにか思考を防衛的にしてきた。他者を拒絶しがちである。思考の四方に感情という壁を立てて、他者と共有してきた天を極端にせばめてしまった。
    「子産(下)」より
  • 人というものは、恩は忘れるが、怨みは忘れぬ。
    「孟嘗君 5」より
  • 人はたれにもあやまちがあります。あやまちを犯しても改めれば、これほど善いことはありません。『詩』に、初めはたれでも善いが、終わりを善くする者は鮮(すくな)い、とあるように、あやまちをおぎなう者はすくないのです。
    「沙中の回廊(下)」より
  • 「わたしは侈っている者を烈しく憎まない。なぜなら侈っている者はおのずと滅ぶ。が、なまけている者はどうか。わたしはなまけている者をもっとも憎む」
    「沙中の回廊(下)」より
  • 人を得ようとしたければ、まずその人のために勤めねばならぬ。すなわち、晋が諸侯を従えたいのであれば、諸侯のために骨折りをしなければならない。
    「子産(上)」より
  • 知るということは、活かすということをして、はじめて知るといえる。
    「青雲はるかに(上)」より
  • 師はつねに偉く、弟子はつねに劣っているものでもない。弟子の美点に敬意をいだける師こそ、真に師とよんでさしつかえない人なのではないか。
    「孟嘗君 2」より
  • 人を家にたとえると、目は窓にあたる。窓は外光や外気を室内にとりいれるが、室内の明暗をもうつす。そのように目は心の清濁や明暗をうつす。
    「孟嘗君 2」より
  • 人にものごとを問うということは、質問そのものに、問うた者の叡知があらわれるものである。
    「孟嘗君 3」より
  • 人から嫌われることを、避けようとする者は、心の修養ができていないことである。
    「中国古典の言行録」より
  • 人を利用すれば、かならず人に利用される。・・・企てというのは、人に頼ろうとする気が生じたとき、すでに失敗しているといってよい。
    「太公望 中」より
  • 与えられてばかりで、与えることをしないことを、むさぼると申します。むさぼった者は、なべて終わりがよくない
    「孟夏の太陽」より
  • ・・・料理をつくりながら、人と組織とをみきわめたのか。素材が人であれば、素材を合わせてつくった料理が組織である。それ自体はにがく、からいものでも、他の素材と合わされば、うまさを引きだすことができる。煮るとか蒸すとかいうことが、政治なのかもしれない。
    「太公望 中」より
  • 他人を変革するためには、まず自己を改革しなければならね。
    「太公望 中」より
  • 人が何かを得るには、二通りあります。与えられるか、自分で取るかです。(中略)与えられることになれた者は、その物の価値がわからず、真の保有を知りませんから、けっきょく豊さに達しないのです。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • みじかいなわしかついていないつるべでは、深い井戸の水を汲むことはできない。
    「奇貨居くべし 黄河編」より
  • 人は目にみえるものを信じるが、そのことにはかぎりがあり、けっきょく、人が本当に信じるものは、目にみえぬものだ
    「晏子」第二巻より
  • 人にはそれぞれこだわりがあり、そのこだわりを捨てて、変化してゆく現実や環境に順応してゆくことの、何とむずかしいことか。
    「奇貨居くべし 飛翔篇」より
  • 失敗を心中でひきずりつづけると、起死回生の機をとらえそこなう。それは戦場における教訓にすぎないともいえるが、大きな勝利とは、相手の失敗につけこむのではなく、自分の失敗を活かすところにある。楽毅の信念はそうである。
    「楽毅」第四巻より
  • 人の頭脳のなかの眼力は、木の幹にあたるであろうが、幹をささえるものは知識という葉ではない。根である。根は地上の者ではどうすることもできない伸びかたをする。その根は天から落ちてくる水を吸い、人からあたえられる水も吸って太ってゆく。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 大木にするためには、幹の生長に目をうばわれがちであるが、地中の根を大きく張らせることを忘れてはならない。花を咲かせることをいそぐと、花のあとの結実をおろそかにしてしまう。要するに、大木でなければ豊かな実をつけないということである。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • あらゆる事態を想定して準備を怠らず、変化に対応できるようなトップでいなければならない。
    「中国古典の言行録」より