喜ばせることの喜び ふり返り366日【08/2/6-2】
小さいときに子どもに学んでほしいことの筆頭に、私は「人を喜ばせることに喜びを感じること」をあげたいと考えています。
人が喜んでいる姿を見て、素直にうれしいと思う感性は、逆に言うと、人が悲しんだり、怒ったりすることを嫌う感性に結びつくと考えられます。
子どもの学習習慣、生活態度を長年見てきて、人が悲しんだり、怒ったりすることを何の気なしにしてしまう子どもというのは、基本的に、人を喜ばせる経験、人に喜んでもらって自分もうれしくなるという経験をしてこなかったのだと思うようになりました。
家に帰ると、親からは、ほとんど叱られることしかない子ども、親から「ありがとう」という感謝の言葉を笑顔や愛情といっしょにかけられてこなかった子どもは、人と人との関係のなかで「うれしい」「喜ばしい」ことを感じにくくなっています。
人が人のためによい行動をとるのは、自分のためではなく、人のためなのですが、人が喜んでくれるのが「うれしい」という快感を得る自分のためでもあります。
そういう動機によって、「よい行動」「人のための行動」がなかなかとれない子どもは、無関心でいられることは絶対的に嫌なことなので、叱責を受けるような「悪い行動」「自分勝手な行動」をすすんでとるようになってしまいます。
子どもたちにとって、「喜ばせたい相手」「悲しませたり困らせたりしたくない相手」に親のほか、「学校の教師」「担任」などが加わるかどうかは、たとえば「生きる力」向上にとっては、かなり重要な要素になってきます。
テストで良い点を取れずに、返却のとき、「すみませんでした」と謝る生徒がいますが、これは「先生を満足させることができず、申し訳ない」という意思表示でもあります。
このような生徒と、授業妨害にあたるほどのおしゃべり、遅刻、忘れ物、提出物を出さない、・・・などを繰り返す生徒では、何が決定的に違っているかというと、「人を困らせたくない」「人をがっかりさせたくない」と思えるかどうかという意識の問題です。
「ハイ・タッチ」の最も基本的な部分かと思い、記事にしました。
08/2/6 教師にとっての「ハイ・コンセプト」の時代 ダニエル・ピンク著・大前研一訳「ハイコンセプト『新しいこと』を考え出す人の時代」(三笠書房)では、「フラット化する世界」と同様、代行可能になってしまう仕事では生き残れなくなる時代に求められる力を紹介しています。 これから求められる「六つの感性(センス)」として著者が挙げているものを見て、これらは本来、日本人が持っていたコンピテンシーではないのか?と感じたのは私だけでしょうか。二年前に出版された本ですが、「新しさ」と「なつかしさ」が同居している感覚があります。 「機能」だけでなく「デザイン」 「議論」よりは「物語」 「個別」よりも「全体の調和」 「論理」ではなく「共感」 「まじめ」だけでなく「遊び心」 「モノ」よりも「生きがい」 教師にとっては得意分野に入る能力が多いのではないでしょうか。 「はじめに」で著書は、新しい時代を動かしていく力として「ハイ・コンセプト」「ハイ・タッチ」を挙げ、前者を「パターンやチャンスを見出す能力、芸術的で感情面に訴える美を生み出す能力、人を納得させる話のできる能力、一見ばらばらな概念を組み合わせて何か新しい構想や概念を生み出す能力など」とし、後者を「他人と共感する能力、人間関係の機微を感じ取る能力、自らに喜びを見出し、また、他の人々が喜びを見つける手助けをする能力、そしてごく日常的な出来事についてもその目的や意義を追求する能力など」としています。 これらのうち、教師に求められていないものはないと言ってよいでしょう。また、多くの教師が教育に「やりがい」を感じたとき、実践していたことを指していると考えることができます。 著書の言う「新しい全体思考」とやらを教師の立場として検証してみたいと思います。
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中学校の教師では、生徒が何歳くらいから家庭環境が壊れ始め、「愛情」というものを感じることができなくなったのかを知る機会というのがでてきます。
「愛情」を知らない子どもの心の修復や自立を促すことは、非常に難しいものです。
近くにいない方が子どものためになるというレベルに達しているケースでは、担任が保護者代わりになるようなこともありますが、それも限界があります。
「人から感謝されることで自分の存在意義を感じることができるプログラム」・・・たとえば介護体験とか保育体験で自分を見つめ直すことができるケースもあります。
人だけでなく自分も傷付ける行為がおこるときには、本当に多くの人・機関との連携が必要になります。
投稿: kurazoh | 2009/02/19 20:58
( ̄ー ̄)ニヤリ
>このような生徒と、授業妨害にあたるほどのおしゃべり、遅刻、忘れ物、提出物を出さない、・・・などを繰り返す生徒では、何が決定的に違っているかというと、
人間を選別するのが先生の仕事かもしれないが、
なぜに断定的?
人は環境や指導者で変わるというのが、
暗象の主張じゃないのか?
自分の前でダメな子どもは育ちが悪い…じゃ、
本当に先生かどうか、疑わしいものだ。
そうそう、
また最新のコメント欄を消しちゃったの?
便利だねぇ〜
ほんと、麻生と同じだ。
暗象もニュースを見てみたらどう?
投稿: いちろう | 2009/02/19 00:39