ウェブページ

最近のトラックバック

本の検索・注文


  • サーチする:
    Amazon.co.jp のロゴ

« 図解へのこだわり ふり返り366日【08/2/7-1】 | トップページ | 卒業式で別れるのがつらい相手とは? »

乱入者対応ができる学校 ふり返り366日【08/2/7-2】

 放課後の時間帯に、他校の生徒が数人、校内に立ち入ってきて、悪さをはじめたときの対応の方法について、学校で取り決めていることはあるでしょうか。

 そんな取り決めは必要ないのかもしれませんが、私には衝撃的な経験がありました。

 迷惑をかけたのは私が赴任したばかりの学校の生徒で、私が連絡を受けて相手の学校に駆けつけたときには、一人について教師が三人ずつくらいで取り囲み、おそらく学校総出で対応をしていました。

 相手の学校は荒れているわけではなかったのですが、このように危機管理ができる学校というのは、そもそも荒れないはずでしょう。

 職員室に教師がいるはずなのに、騒ぎを聞いて駆けつけたら教師は自分しかおらず、生徒に囲まれるという状況は、なかなか厳しいものです。

 私には、どんな問題を起こしている生徒にも常に笑顔で対応していた(が大事なときには姿を見せない)教師が妙に印象に残っています。

08/2/7 「今、職員室にはだれもいません」  「『教育改革』はなぜ失敗するのか」(PHP研究所)の著者は大阪府の方のようですが、大阪ではもう30年も40年も管理職と組合の関係は変わっていないようですね。養護学校に限ったことでしょうか。それとも、他の道府県でも同じような状況にあるのでしょうか。  ゆとりを求める組合の要求がかなっていく経緯や、当時の文部省との見解の一致点なども著書では紹介されています。「ゆとり教育」の推進という形で、組合が果たしてきた大きな役割を確認することができました。  現在の組合の活動については詳しくないのですが、上層部?の人を除いて、管理職・教育委員会の動向や変化が分かっていない人もブログを読む限りでは非常に多いようです。人事関係の会議録は都道府県教育委員会のHPを見れば、教員の処分などプライバシーにかかわるもの以外は公開されているので、パブリックコメントを発信することもできます。  通学区域という「地域」のことについて、昔やっていた家庭訪問のことを思い出しました。  最近は、家庭のプライバシーの侵害にあたるのではないかとして(最も大きいのは授業カットができない状況になることか?)家庭訪問を取りやめ、三者面談にしている学校もあるかもしれません。(ただ、三者面談を組むと、休んだ分の仕事の金をよこせという保護者がいます。有給休暇がとれる仕事についていない人もいるので、三者面談すら今は難しいのでしょうか。)  家庭訪問を取りやめた場合も、「地域を知る」という名目で、巡回を計画したこともありました。  学校選択制に対して「地域の破壊につながる」という理由で反対している人のうち、通学区域という地域のことを本当によくわかっている人はどのくらいいるのでしょうか。  たまり場になる公園。高校生から恐喝を受けた事件の場所。自転車の事故の危険がある場所。万引で生徒がつかまったことがある店。ピンポンダッシュで迷惑をかけたことがある民家。運動会のときに、必ず騒音の苦情を伝えてくる家。両親が共働きで、夜に生徒が集まって遊ぶおそれがある家。・・・  「地域の学校」と銘打つならば、すべての教員が地図を持たずに歩き回る「土地勘」をもっている必要があります。自治会長の家がどこで、PTA会長はどこ。商店会の会長は。・・・校長や副校長なら、異動してくると必ず「挨拶まわり」というのをしますが、私はここに教員も必ず同行すべきだと考えています。  他校との抗争が多い地区では、当然相手校の学区域の地理も頭に入れておく必要があります。  このような仕事を「生活指導部がやること」などと言って避けていると、生活指導部の教員が全員授業中で職員室に残っているとき、「先生、すぐ来てください」という生徒の声に「今、だれもいません」と答えてしまう教員になってしまいます。

« 図解へのこだわり ふり返り366日【08/2/7-1】 | トップページ | 卒業式で別れるのがつらい相手とは? »

教育」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 乱入者対応ができる学校 ふり返り366日【08/2/7-2】:

« 図解へのこだわり ふり返り366日【08/2/7-1】 | トップページ | 卒業式で別れるのがつらい相手とは? »

2021年11月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
無料ブログはココログ

宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より