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ふり返り366日【1月10日】 学校に「入る」人

 附属池田小事件が起こった当時は、「開かれた学校づくり」がキーワードになっており、「いろいろな人が学校に入って教育活動に携わることができる」イメージができかけていたのですが、「入ってきてもらっては絶対に困る人」がいることの方がクローズアップされ、どちらかというとそれまで以上に「閉じた空間」(ただし決して「安全な空間」にはなりきれない)イメージが強くなってしまいました。
 私が知っている都市部の学校では、外部から学校に入るためには、受付を通って名札をつけるのが一般的になっています。
 保護者は一家に一つ、入学当初に名札を配布されているところもあるのではないでしょうか。

 このようなタイプの管理を徹底させようとすると、近未来には、どの国民もICチップ入りの身分証明書を常備していて、電車の改札のように近くでふれなくてもスキャンできる技術ができ、さまざまな施設を利用するたびにチェックされ、いつどこにどのくらいの時間いたかという記録が残るようなシステムができるかもしれません。

 などでは、入室時退出時にカードでタッチすると、親の携帯などにメールでその情報が送られるサービスもあるようです。

 企業と同じように生徒もカードで登校時間などをチェックされ、各教室の出欠管理もコンピュータに記録される・・・出席簿をつけるなど教師の事務的な手間は省かれるかもしれませんが・・・。

 高齢の方が替え玉受験を試みられたようですが、本人確認という作業は、情報の悪用を防ぐために欠くことができないものです。指紋照合機能があるカードも一般化してきました。
 
 まさか将来、生体に埋め込むタイプのICチップなどはできないでしょうが・・・カードを持つのが一般化して、それはなくすと面倒だ、という人が、ピアスをつける感覚で行うかもしれませんね・・・。
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2008/01/10
学校の機能拡大は可能か?
 多くの学校の教育課程に、「個に応じた指導の充実」という項目はないでしょうか。
 具体的に実践できて、確かな成果を出しているのでしょうか。
 和田中の進学塾導入は、「中学校の教育課程では成績上位者の能力をより高める指導は不可能である」ことを証明したもので、たいへん正直な方策だったわけです。
 「和田中の成績下位者への手だては十分なのか」という批判をしている人もいるようですが、土曜日にちょっと補講をした程度で、成績が簡単に上がるわけではありません。成績上位者の個人差は中学校では大差がないのですが、下位者の個人差は計り知れないものがあります。どこでつまづくのかが予測できません。ですから下位者の場合は塾に通えば必ず成績が上昇するというわけでもないでしょう。塾が成功報酬制だったら本当に本気で宿題もやらせるでしょうが・・・。
 入塾にあたって試験をするような進学塾は、教材をたくさん与えて宿題を課しているのが普通なので、結局は本人が自分で机に座って目の前の教材に取り組めるかどうかが大切なわけです。本人と親のモチベーションは、「大金を払っている」という事実によっても大きく高められている。「やらなければ(成績を上げなければ)損」。
 和田中の場合は、「全国でここしかやってない授業、テレビの取材が入る授業、有名人が校長」ということをモチベーションの要因にしているため、授業料が半額になるというマイナス要素?があっても成果が期待できたわけです。
 都教委からストップがかけられましたが対策は簡単なもので、学校外でやればよいだけです。もともと主催者は学校ではないわけですから。余計なお世話ですが、「和田中の生徒だけが得をする」というひがみは避けられませんが、実施者(塾)が半額でもやるというのなら別にだれも文句は言えないわけです。
 学校というのは不便なところで、体育館やグラウンドの開放というのはやっていますが、法令で施設の目的外使用を禁じられているので、PTA活動ではなく、企業が主体になって「エアロビ教室」とか「生け花教室」とか、そういう営利活動をしてはいけないことになっています。放課後に学校で「学童保育」ができないのはどうして?と思われる方がいるかもしれませんが、法令上できないわけです。
 しかし、おそらく将来的には住民が安い料金で近所の学校を舞台に開かれる「何とか教室」を利用できるようになるのではないかと思われます。子どもがいない住民も学校の運営費にあてられる税金を払っているわけですから、PTAでなければ参加できないしくみはおかしいし、やはりプロが運営してくれればPTA役員に負担がかかることもありません。料理教室でも何でも、生涯学習の拠点の「場」としての役割を学校が果たすようになる日は近いはず。
 ここに塾が参入する場合は、やはり最小の予算で最大の効果を発揮させるために、「能力に応じた等しい」指導ができる体制をつくって授業を実施することになるでしょう。
 藤原校長は、このような「場」の提供機関としての学校像もイメージしているのではないでしょうか。
 定時制のある高校や、夜間中学のある学校のように、生徒が入れ替わるイメージで、公務員としての勤務時間内は法令どおりに学校施設を使い、土日や平日の夜、長期休業中などは校長裁量で希望する団体、企業に「場」を提供するようなしくみになれば、学校が地域のコミュニティーセンターになり、教育への予算配分の増額が世論の支持を得るようになるのではないでしょうか。

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コメント

事件の衝撃は一生消えないでしょう。

投稿: kurazoh | 2009/01/16 00:10

(´,_ゝ`)プッ
>附属池田小事件が起こった当時は、「開かれた学校づくり」がキーワード

なんで、こんなに他人事のコメントなんだ?
当事者としての意識が微塵もない。
学校の先生として、こんな程度の認識でいいのか?

投稿: いちろう | 2009/01/13 23:47

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