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ふり返り366日【1月4日】 男女格差

 男女格差の問題について、最近私は「ひかえめだから」という理由で男子を擁護したい気持ちになってきました。
 別にいちいち「最近の男子は・・・」とか「今も女子は・・・」とか、性の違いで生徒をくくってどうこう言う意味はないようにも思いますが、仮に「頼りがいのある生徒」といったときに女子ばかりしか思い浮かばなくなってしまうとすると、やはり危機感を禁じ得ません。
 男女別習、共学に移行しない方がよいということの合理性・理論的根拠が本当に生まれてきそうな気がします。
 
 日経Kids+の2009年1月号では、「男の子の国語力」「女の子の算数力どこが苦手?どう伸ばす?という特集が組まれていました。

  特集記事の執筆者は力のある現場の教員や、大手の塾、特色のある塾の講師が担当しており、それぞれ読みがいがあります。

 この雑誌は、中学受験を考えている保護者はもちろんですが、小学校の教師にもできたら読んでもらいたい内容がつまっています。

 よく子どもの学力で7・5・3という呼ばれ方がしますが、これを小・中・高の学習の内容の定着度合いでなく、「十分満足に学習が定着している児童・生徒の割合」とも読むことができ、小学校段階で「」に入れなかった「」の子どもたちは、中学校でも定着できない方の「」に入る確率が高く、高校でも「」に入るようになってしまいます。

 小学校段階の「」の子どもたちをいかにして「十分満足に」(少なくとも「おおむね満足に」)引き上げられるか、という研究・研修はとても重要で、それは実際に引き上げている実績のある人たちから学ぶことが効果的でしょう。
 これを、「補習」という形ではなく、「授業」内でしっかりできる努力を続けるべきです。

 学力向上対策ムードに乗って、過剰な宿題家庭学習を要求する学校が増えてくる可能性がありますが、そのことについては、安易に歓迎するムードをつくらない方がよいと考えています。
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2008/01/04
「女高男低」の時代の教育
 メールマガジン「ビジネス発想源」に,男子より女子が優秀で男子の採用数が少なくなってしまうという企業の話,叱ると立ち直れなくなる男が増えているという映画監督の話が紹介されていました。
 これは教員採用でも全く同じで,もう10年以上前から(使えそうな)男は貴重な戦力という話が,学校だけでなく教育委員会のレベルでかわされていました。こういう時代,女性中心の職場である小学校で指導力のない男性というのは本当にきついかもしれませんね。
 私立の女子高は,同年齢の男子はレベルが低くてカリキュラム運営ができないという理由で共学にしないところもありますから,「女高男低」時代は本格化しようとしているのでしょうか。
 生活指導でも,女子は叱られたことをバネにして伸びていくタイプが多いですが,男子はすぐ「ママ」に泣きついて逆ギレしてもらうという関係の母子が増えてきました。
 ここ十数年の男子の成長の遅れ,これは学力だけでなく体力,精神力,すべてにおいてかもしれませんが,この原因を的確に分析している人はいるでしょうか。
 母子の関係が非常に強く影響していることは,実例からたくさん言えることですが,それだけでしょうか。
 日本の場合,家庭では女性が財務大臣であるような「女尊男卑」の歴史は長いのですが,「女高男低」時代の社会はどうなっていくのでしょうか。
 政治家や管理職に女性が少ないことが日本の特徴になっていましたが,これは女性が優秀だったからにすぎないような気もしてきました。
 教育の現場レベルでは,いじめによる不登校,怠学,非行の男女格差の原因究明から,もしかしたら大きな改革のヒントが得られるかもしれません。

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教育」カテゴリの記事

コメント

こつこつ型が苦手な男子が多いという印象は、提出物を出さない、期限に遅れる、というのが、男子の方が圧倒的に多かったことで強まってしまっています。

(´,_ゝ`)プッ
暗象的差別への一歩だね!!

>男女格差の原因究明から,もしかしたら大きな改革のヒントが得られるかもしれません。

私が子どもの頃は、
女が勉強できるのは小学卒業までで、
中学に入ったら追いつかれて、
高校以上は、男の方ができると言われていた。
女は理系に弱いとも言われていたが、
最近、病院へ行くとやたらと女医が目立つ。

まさに、後天的な“教育”の問題を、
自分とは関係のないどうしようもないことだとし、
誰かに解明してもらいたい…
免罪符を得たい…という、
自己中の考えを正当化するために、
性差に救いを求め、性差別を助長しようとしている。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より
  • 目くばりをするということは、実際にそこに目を遏(とど)めなければならぬ。目には呪力がある。防禦の念力をこめてみた壁は破られにくく、武器もまた損壊しにくい。人にはふしぎな力がある。古代の人はそれをよく知っていた。が、現代人はそれを忘れている。
    「楽毅」第1巻より
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    「楽毅」第1巻より
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    「奇貨居くべし 黄河編」より
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    「楽毅」第四巻より
  • 人というものは、自分のやっていることをたれもみていないと思い込んでいるが、じつはたれかがみており、やがて賛同してくれる人があらわれる。
    「春秋の名君」より
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    「沈黙の王」より
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    「歴史の活力」より
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    「歴史の活力」より
  • 黄河の流れは悠久とやむことはない。河床もあがりつづけるのである。いくら堤防の高さをましてもらちのないことであった。
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  • 人はおのれのままで在りたい。それは願望とはいえぬほどそこはかとないものでありながら、じつは最大の欲望である。人の世は、自分が自分であることをゆるさない。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 外をもって仕えている者は信用するに足りぬ。つまり男でも女でも内なる容姿というものがあり、その容姿のすぐれている者こそ、依恃(いじ)にあたいする。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 橘という木があります。この木が淮水の南に生ずれば、すなわち橘となります。ところが淮水の北に生ずれば、すなわち枳となります。葉は似ておりますが、実のあじわいはことなります。なにゆえにそうなるかと申しますと、水と土がちがうからです。そのように、その者は斉で生まれ育ったときは盗みをしなかったのに、楚にはいって盗みをしたのです。楚の水と土は、民に盗みをうまくさせようとするところがありませんか
    「晏子」(第四巻)より
  • 倹より奢に入るは易く、奢より倹に入るは難し
    「中国古典の言行録」より
  • 礼儀という熟語がある。礼とは万物を成り立たせている根元に人がどうかかわるかという哲理のことで、儀とは礼をどう表現するかというレトリックをいう。その二つが組み合わさって礼儀ということばが生まれた。
    「春秋の色」より
  • 都邑が矩形であるのは、この大地が巨大な矩形であると想像するところからきている。したがってかぎりない天地と形容するのは正確さに欠ける。大地にはかぎりがある。ただし大地は四方を高い壁でかこまれているわけではない。とにかく独創とか創見というものは、思考が狭い矩形をもたぬということではないか。人はいつのまにか思考を防衛的にしてきた。他者を拒絶しがちである。思考の四方に感情という壁を立てて、他者と共有してきた天を極端にせばめてしまった。
    「子産(下)」より
  • 人というものは、恩は忘れるが、怨みは忘れぬ。
    「孟嘗君 5」より
  • 人はたれにもあやまちがあります。あやまちを犯しても改めれば、これほど善いことはありません。『詩』に、初めはたれでも善いが、終わりを善くする者は鮮(すくな)い、とあるように、あやまちをおぎなう者はすくないのです。
    「沙中の回廊(下)」より
  • 「わたしは侈っている者を烈しく憎まない。なぜなら侈っている者はおのずと滅ぶ。が、なまけている者はどうか。わたしはなまけている者をもっとも憎む」
    「沙中の回廊(下)」より
  • 人を得ようとしたければ、まずその人のために勤めねばならぬ。すなわち、晋が諸侯を従えたいのであれば、諸侯のために骨折りをしなければならない。
    「子産(上)」より
  • 知るということは、活かすということをして、はじめて知るといえる。
    「青雲はるかに(上)」より
  • 師はつねに偉く、弟子はつねに劣っているものでもない。弟子の美点に敬意をいだける師こそ、真に師とよんでさしつかえない人なのではないか。
    「孟嘗君 2」より
  • 人を家にたとえると、目は窓にあたる。窓は外光や外気を室内にとりいれるが、室内の明暗をもうつす。そのように目は心の清濁や明暗をうつす。
    「孟嘗君 2」より
  • 人にものごとを問うということは、質問そのものに、問うた者の叡知があらわれるものである。
    「孟嘗君 3」より
  • 人から嫌われることを、避けようとする者は、心の修養ができていないことである。
    「中国古典の言行録」より
  • 人を利用すれば、かならず人に利用される。・・・企てというのは、人に頼ろうとする気が生じたとき、すでに失敗しているといってよい。
    「太公望 中」より
  • 与えられてばかりで、与えることをしないことを、むさぼると申します。むさぼった者は、なべて終わりがよくない
    「孟夏の太陽」より
  • ・・・料理をつくりながら、人と組織とをみきわめたのか。素材が人であれば、素材を合わせてつくった料理が組織である。それ自体はにがく、からいものでも、他の素材と合わされば、うまさを引きだすことができる。煮るとか蒸すとかいうことが、政治なのかもしれない。
    「太公望 中」より
  • 他人を変革するためには、まず自己を改革しなければならね。
    「太公望 中」より
  • 人が何かを得るには、二通りあります。与えられるか、自分で取るかです。(中略)与えられることになれた者は、その物の価値がわからず、真の保有を知りませんから、けっきょく豊さに達しないのです。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • みじかいなわしかついていないつるべでは、深い井戸の水を汲むことはできない。
    「奇貨居くべし 黄河編」より
  • 人は目にみえるものを信じるが、そのことにはかぎりがあり、けっきょく、人が本当に信じるものは、目にみえぬものだ
    「晏子」第二巻より
  • 人にはそれぞれこだわりがあり、そのこだわりを捨てて、変化してゆく現実や環境に順応してゆくことの、何とむずかしいことか。
    「奇貨居くべし 飛翔篇」より
  • 失敗を心中でひきずりつづけると、起死回生の機をとらえそこなう。それは戦場における教訓にすぎないともいえるが、大きな勝利とは、相手の失敗につけこむのではなく、自分の失敗を活かすところにある。楽毅の信念はそうである。
    「楽毅」第四巻より
  • 人の頭脳のなかの眼力は、木の幹にあたるであろうが、幹をささえるものは知識という葉ではない。根である。根は地上の者ではどうすることもできない伸びかたをする。その根は天から落ちてくる水を吸い、人からあたえられる水も吸って太ってゆく。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 大木にするためには、幹の生長に目をうばわれがちであるが、地中の根を大きく張らせることを忘れてはならない。花を咲かせることをいそぐと、花のあとの結実をおろそかにしてしまう。要するに、大木でなければ豊かな実をつけないということである。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • あらゆる事態を想定して準備を怠らず、変化に対応できるようなトップでいなければならない。
    「中国古典の言行録」より