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ふり返り366日【08/1/21】 優先順位の決め方

 人間にとって時間は無限に与えられているものではありませんから、「やるべきこと」「やりたいこと」がたくさんあっても、そのすべてはできません。
 
 ですから「やらなければならないこと」も含めて、「優先順位」を決めて、選択的に実行していくことになります。

 仕事のコツというものがあるとすれば、それはつまり「優先順位」の決め方とその後の実行力にある、と考えられます。(勉強もそうです)

 「優先順位」の決め方には、「重要性」や「緊急性」の他に、「適時性」というものもあります。

 仕事の仕方をよく見ていれば、その人が「大切だ」と考えていることがよくわかります。

 そのときに、「この人は人間よりも仕事の方が大切なのだ」と思われないよう、配慮することももちろん大事です。

2008/01/21 勉強や仕事のコツ・こだわりとは?  料理のコツといったものは、だれもが共有していい情報かもしれませんが、勉強とか、仕事のコツといったとき、それを相手に伝えるのが果たして適切か?と考えてしまうことがあります。  勉強のコツは?と子どもに聞かれたら、「コツがわかるまでがんばること」と答えています。  なぜそのようないじわるな答えをしてしまうかというと、コツを知りたいと聞いてくる人の中に、「自分は苦労や努力はしたくない。最短ルートでゴールにつきたい。早く成功したい。とりあえずいい点だけとりたい。」というような安易な気持ちが見え隠れするのが嫌なのです。  仕事上のコツを聞かれることも何度かありました。  机上整理とか書類の整理は、聞かれなくても教えたことはありましたが、授業のコツ教え方のコツは?という質問が一番困ります。  そういう技術を教えて食べている人もいるようなので失礼のないように申し上げれば、簡単にまねができる「コツ」も確かにあるかもしれませんが、それが「こだわり」になっていくかどうかは、やはり努力量・経験量によって左右されると思います。自分が自信をもって「コツ」だと言えることというのは、スキルとは次元が異なります。  多くの教師は子どもが「楽しく学ぶコツ」を求めます。しかし、子どもが「学ぶ楽しさ」を味わえる授業も大切ですが、「学ぶ喜び」を味わうレベルまで達することができるか。  覚え方のコツを教えてあげると生徒は喜びますが、それはもちろん「学ぶ喜び」ではありません。  そんなものにこだわっていても、おそらく本人がかかえている大きな問題の解決にはならない気がします。    行政で仕事をしていたころは、あまり人には言わない「仕事の流儀」ですが、私が唯一大きなこだわりとしてもっていたのは、「頼まれたもの、依頼するものは物理的に可能な限り、郵送ではなく必ず手渡す」ということでした。  同じような主義に「電話ですませようとしない」ということもありました。  どんなに忙しくても、「そんなに暇なのかしら」と思われても、「face to face」をくずさない。  最もめんどうくさく、楽ではなさそうな流儀ですが、私の場合は現場と信頼関係をつくるための最大のコツでした。そして、直接校長先生や副校長先生、初任者の先生や研究主任の先生に会って話をすることが、楽しみになってくる。これは現場の教師をやっているときには得にくかった感覚です。100人以上の大人といつもつながりを持っていること。一人一人が、何に喜んでくれて、何を不満に思っているのか、何が不安なのか、きっと会わなければわからなかっただろうな・・という経験を積んで、相手の望んでいる情報を出すようにしていく。  後任の方はこのような姿を見ているので同じようにしてくれたかもしれませんが、「仕事はこうするものだ」と指示しようとは思いませんでした。やってみてどうだった?と聞きたい気にはなりますが、仕事のこだわりというのは、どんなに時間がない中でもやることなので、無理をさせるわけにはいきません。  「教材研究の時間がない」という先生がいますが、教材研究がその先生の「仕事のこだわり」でないことは残念なことです。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
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    「歴史の活力」より
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  • 外をもって仕えている者は信用するに足りぬ。つまり男でも女でも内なる容姿というものがあり、その容姿のすぐれている者こそ、依恃(いじ)にあたいする。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 橘という木があります。この木が淮水の南に生ずれば、すなわち橘となります。ところが淮水の北に生ずれば、すなわち枳となります。葉は似ておりますが、実のあじわいはことなります。なにゆえにそうなるかと申しますと、水と土がちがうからです。そのように、その者は斉で生まれ育ったときは盗みをしなかったのに、楚にはいって盗みをしたのです。楚の水と土は、民に盗みをうまくさせようとするところがありませんか
    「晏子」(第四巻)より
  • 倹より奢に入るは易く、奢より倹に入るは難し
    「中国古典の言行録」より
  • 礼儀という熟語がある。礼とは万物を成り立たせている根元に人がどうかかわるかという哲理のことで、儀とは礼をどう表現するかというレトリックをいう。その二つが組み合わさって礼儀ということばが生まれた。
    「春秋の色」より
  • 都邑が矩形であるのは、この大地が巨大な矩形であると想像するところからきている。したがってかぎりない天地と形容するのは正確さに欠ける。大地にはかぎりがある。ただし大地は四方を高い壁でかこまれているわけではない。とにかく独創とか創見というものは、思考が狭い矩形をもたぬということではないか。人はいつのまにか思考を防衛的にしてきた。他者を拒絶しがちである。思考の四方に感情という壁を立てて、他者と共有してきた天を極端にせばめてしまった。
    「子産(下)」より
  • 人というものは、恩は忘れるが、怨みは忘れぬ。
    「孟嘗君 5」より
  • 人はたれにもあやまちがあります。あやまちを犯しても改めれば、これほど善いことはありません。『詩』に、初めはたれでも善いが、終わりを善くする者は鮮(すくな)い、とあるように、あやまちをおぎなう者はすくないのです。
    「沙中の回廊(下)」より
  • 「わたしは侈っている者を烈しく憎まない。なぜなら侈っている者はおのずと滅ぶ。が、なまけている者はどうか。わたしはなまけている者をもっとも憎む」
    「沙中の回廊(下)」より
  • 人を得ようとしたければ、まずその人のために勤めねばならぬ。すなわち、晋が諸侯を従えたいのであれば、諸侯のために骨折りをしなければならない。
    「子産(上)」より
  • 知るということは、活かすということをして、はじめて知るといえる。
    「青雲はるかに(上)」より
  • 師はつねに偉く、弟子はつねに劣っているものでもない。弟子の美点に敬意をいだける師こそ、真に師とよんでさしつかえない人なのではないか。
    「孟嘗君 2」より
  • 人を家にたとえると、目は窓にあたる。窓は外光や外気を室内にとりいれるが、室内の明暗をもうつす。そのように目は心の清濁や明暗をうつす。
    「孟嘗君 2」より
  • 人にものごとを問うということは、質問そのものに、問うた者の叡知があらわれるものである。
    「孟嘗君 3」より
  • 人から嫌われることを、避けようとする者は、心の修養ができていないことである。
    「中国古典の言行録」より
  • 人を利用すれば、かならず人に利用される。・・・企てというのは、人に頼ろうとする気が生じたとき、すでに失敗しているといってよい。
    「太公望 中」より
  • 与えられてばかりで、与えることをしないことを、むさぼると申します。むさぼった者は、なべて終わりがよくない
    「孟夏の太陽」より
  • ・・・料理をつくりながら、人と組織とをみきわめたのか。素材が人であれば、素材を合わせてつくった料理が組織である。それ自体はにがく、からいものでも、他の素材と合わされば、うまさを引きだすことができる。煮るとか蒸すとかいうことが、政治なのかもしれない。
    「太公望 中」より
  • 他人を変革するためには、まず自己を改革しなければならね。
    「太公望 中」より
  • 人が何かを得るには、二通りあります。与えられるか、自分で取るかです。(中略)与えられることになれた者は、その物の価値がわからず、真の保有を知りませんから、けっきょく豊さに達しないのです。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • みじかいなわしかついていないつるべでは、深い井戸の水を汲むことはできない。
    「奇貨居くべし 黄河編」より
  • 人は目にみえるものを信じるが、そのことにはかぎりがあり、けっきょく、人が本当に信じるものは、目にみえぬものだ
    「晏子」第二巻より
  • 人にはそれぞれこだわりがあり、そのこだわりを捨てて、変化してゆく現実や環境に順応してゆくことの、何とむずかしいことか。
    「奇貨居くべし 飛翔篇」より
  • 失敗を心中でひきずりつづけると、起死回生の機をとらえそこなう。それは戦場における教訓にすぎないともいえるが、大きな勝利とは、相手の失敗につけこむのではなく、自分の失敗を活かすところにある。楽毅の信念はそうである。
    「楽毅」第四巻より
  • 人の頭脳のなかの眼力は、木の幹にあたるであろうが、幹をささえるものは知識という葉ではない。根である。根は地上の者ではどうすることもできない伸びかたをする。その根は天から落ちてくる水を吸い、人からあたえられる水も吸って太ってゆく。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 大木にするためには、幹の生長に目をうばわれがちであるが、地中の根を大きく張らせることを忘れてはならない。花を咲かせることをいそぐと、花のあとの結実をおろそかにしてしまう。要するに、大木でなければ豊かな実をつけないということである。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • あらゆる事態を想定して準備を怠らず、変化に対応できるようなトップでいなければならない。
    「中国古典の言行録」より