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「責任追及」ではなく「責任追究」ができる学校を

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 学校という職場は、なかなか新しいことを取り組むのにGOサインが出されにくい場所です。

 それは、「全員話し合い主義」が原因だったり、「仕事が増えるのが嫌だ症候群」だったり、「私には関係ない症候群」「失敗するのは大嫌い症候群」に侵されているからで、それは裏を返せば、「リスクをとっても成果を求める体質」になっていないことのあらわれとなっています。
 別の言い方をすれば、「責任回避型」の組織行動が学校の基本です。

 一方、日本では昔から、「全責任型」の組織というのも一般的でした。
 この組織の問題点は、失敗があったときに、リーダーが「すべて私の責任です」と言って終わってしまうことです。「敗軍の将、兵を語らず」という「美学」は、失敗の原因追究がないため、同じ失敗が繰り返されることになります。

 「責任回避型」「無責任型」はもちろん、「全責任型」も組織としては理想的ではありません。
 都立日本橋高校の不正操作問題も、「原因究明」「責任追究」は、「全責任型」で終わってしまいました。

 学校には、少人数の分掌やプロジェクトチームが責任をもって自由な発想で能力を生かす仕組みを学校に取り入れないと、その価値に気付き、将来にわたってもそのような活動に意味を見いだせる人材を育てるのは難しいでしょう。
 
 まずは第一歩として、「失敗」に対する「責任追究」の仕組みを確立しなければなりません。

 「責任追及」ではなく、「責任追究」です。

 教師には、「責任追及」を恐れるあまり、「責任追究」を怠ってきた長い歴史があります。

 「責任追究」姿勢のない組織では、無責任の結果の失敗=良い失敗でも悪い成功でもない、悪い失敗が今後も積み上げられることになるでしょう。

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教育」カテゴリの記事

コメント

憲法を持ち出すとさらに逆効果になりそうですね・・・。

(ノ∀`) アチャー
>公務員には公務員の立場で、中学生には中学生の立場で、

何回やってもダメだということがわかったよ。
権威主義の暗象は、肩書きが先なんだね。
でも、暗象がしている教育は、
警察やヤクザの方が上手にするんじゃないの?

>それぞれの立場で、それぞれのものがあるのでは?

おっしゃる通りです。
公務員には公務員の立場で、中学生には中学生の立場で、それぞれの状況のもとで負うべき責任があるわけです。
「壁」を持ち出したのはいちろうさんでしたよね。

┐( ̄ヘ ̄)┌ フゥゥ~
>「責任追究」姿勢
なのか
>「追及されるべき責任」
なのかもわからないが、
それぞれの立場で、それぞれのものがあるのでは?
レベルとか程度の問題であって、
壁で区切ることはないというのが、私の主張。

「追及されるべき責任」を、公務員と子どもで区別することは、不必要な壁なんでしょうか?

ヤレヤレ ┐(´(エ)`)┌クマッタネ
>子どもと大人の間の壁の意味がご自分でもよくわかっていらっしゃらないようです。

別に子どもと大人の間でも、
子どもどおしの間でも、大人どおしの間でも、
不必要な壁をつくって区分することを批判している。

こういう極端な主張をされるために、「子どもと大人の間の壁を・・・」という話をされているのがよくわかりました。
子どもと大人の間の壁の意味がご自分でもよくわかっていらっしゃらないようです。
「追及されるべき責任」が、公務員と子どもは同じですか?
「追究」というレベルなら、子どもにも考えさせることはできますが。

(´,_ゝ`)プッ
>「できない」ことに気付いてくれるレベルに達するまで、子どもにも批判し続けるのですが・・・。

だったら、子どもも切っちゃうんだ。
暗象の日々の主張から見える同僚への対応は、
「先生になったんだから、できてあたり前。
 これができないなら研修に行け。
 それが嫌なら、辞めてしまえ…」なんだよ。
子どもにも、そうしているということか?
先生を中学生、研修を塾に置き換えればいいだけ?

「できない」ことに気付いてくれるレベルに達するまで、子どもにも批判し続けるのですが・・・。

(゚Д゚)ハァ?
>「できない」ことに気付いてくれるレベルに達していたら、しめたものです。

2008/11/28 教師のモチベーション
につけているコメントと同じなんだけど、

子どもには、この対応なのに、
同僚の先生には、なぜ、こういう対応じゃなくて、
批判するのかを、何回も問うています。

>なんでできない、どうすればいいか考えろ…

基本的に、子どもに任せると失敗ばかりおこります。
しかし、子どもは何年も経験している教師と違って何がベストの状態かを知りませんから、「失敗」自体に気付いていない場合が多いのです。
「できない」ことに気付いてくれるレベルに達していたら、しめたものです。
「どうすればいいか」考えるからです。

教師の場合も、「失敗」を外部から指摘されるのを待つのではなく、しっかりと自分で目標を設定して、それに照らして目の前の状況をきちんと判断するくせをつくることが必要です。
「人からのチェック」ばかりを気にしているような教師では、子どもはついていきませんね。

(-_-メ)
>第一歩として、「失敗」に対する「責任追究」の仕組みを確立しなければなりません。

なんで失敗だけなんだ?
だから「リスクをとっても成果を求める体質」にならないんじゃないの?

子どもたちもそうじゃないの?
先生にチェックばかりされて、
なんでできない、どうすればいいか考えろ…
だけじゃ、やる気をなくすんじゃないの?
そういうこと、ちゃんと暗象に伝えなきゃ!!

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より