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5歳児健診の効果

[いじめ] ブログ村キーワード

 私がまずろさんの記事を批判しなかったことによって「ダブルスタンダードの依怙贔屓教師」とレッテルをはられてから、発達障害についてのことに関心を持ち出していると、昨日の日経朝刊に、「軽度発達障害」を把握し、早い時期から生活改善や保護者の不安解消に結びつけるための「5歳児健診」に関する記事が目にとまりました。

 法律で定められた健診は、1歳半と3歳の乳幼児健診(母子保健法)と、小学校に入る前の就学時健診(学校保健法)なのですが、いじめなどにつながるおそれがある「軽度発達障害」の子どもを見つけ、小学校入学までに障害に応じて支援することをねらいとした、自治体独自の「5歳児健診」が実施され始めているようです。

 制度としては確立していないものの、保護者のニーズをはじめ、その費用対効果の高さと、学校教育の現場からの要請などによって、実施が広がっていくかもしれません。

 文科省の調査(協力しているのはもちろん現場の教師ですが)によれば、発達障害の可能性がある児童・生徒は、6.3%に上っています。
 不安を抱えている親にとっては、制度があれば利用したいと考える人も多いのではないでしょうか。

 鳥取市が実施している5歳児健診での主な診断(質問)項目の一部は以下の通りです。

 何という保育園ですか?
 保育園のカレーとお母さんのカレーと、どっちがおいしい?
 両腕を横に上げる
 目を閉じて起立
 片足ケンケン
 じゃんけんをする
 しりとりをする
 「いいよ」というまで目をつむらせる

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教育」カテゴリの記事

コメント

(ノ∀`)・゚・。 アヒャヒャヒャヒャ
わかったつもりは、暗象だけじゃないの?
まずろさんも意味不明といっているが?
説明しなくていいの?

身近な現場をご覧になれば、よくおかわりいただけると思いますよ。

(ノ∀`)・゚・。 アヒャヒャヒャヒャ
ありゃ〜
「○○という態度で指導をする」こと。
指導にのぞむ姿勢があるということ。
指導と態度が区分されるものじゃないことを、
暗象が書いていることが面白かっただけ。

>毅然とした態度で指導をすること…

「毅然とした態度」で行われるのは決して「厳しい指導」だけとは限りませんね。
いちろうさんが体験された同じような「指導」の中には、様々な態度によるものがなかったですか?

( ´艸`)プププ
>指導なのか態度なのかという尋ね方もよく意味がわかりかねます。

だって!!
名前を抜いて引用すると、

>「態度」と「指導」を完全に同一視されているようですが、「態度」は「指導」全般をさしているわけではないようですね。

あっ、

>毅然とした態度で指導をすること…

という「態度」と「指導」の関係も不思議だ。
暗号だったのかな?

コメント&記事のご紹介、ありがとうございます。

発達障害だから何をしても許されるというのは、まずろさんもおっしゃっているとおり不適切な考えですね。しかし、問題行動を起こす背景に発達障害があると認識しておくことは、間違いなくその子供にとってプラスに働きます。脳の器質的損傷であるにも関わらず、全て健常児と同じように扱うというのには無理がありますから。

私も行動療法の視点においての発達障害児との関わり方について記事にしたことがあります。しっかりと叱り、また認めてあげることが大切ですね。

http://psyche777.blog116.fc2.com/blog-entry-77.html

それともうひとつ。
いちろうさんの認識のなかで、私が「障害」を問題行為の「免罪符」に使っていると思われているのなら、それも正したいと思います。

良い行動をしたら褒めて「それが良かった」ことを本人にわかりやすく認識させますが、良くない行動ならば「今のは良くない」としっかり伝えてやることは大切なことです。
これは障害者のみならず必要な態度ですが、特に発達障害児にはそれをわかりやすく伝えてやることが肝要です。
行動療法の基本です。
以下にも私のそれについての考えを説明しておりますので、良ければご覧ください。
http://maslow.blog115.fc2.com/blog-entry-46.html

>>それも個性の範疇で受け止めていける柔らかな心には、多くの例においてカミングアウトは必要ないとさえ思います

>反社会的行動に対しては、毅然とした態度で指導をすることには変わりはないでしょう。

という対応の違い。こういうのを指導というと思うのだが、暗象の擁護とは違うのか? 態度なのか?<

いちろうさんは何か勘違いされていますね。
kurazohさんも私も誰かを「擁護」しようとする目的の発言ではありません。
自分が妥当だと思うことを「誰の側」などという発想ではなく語っているだけです。

さて、「幼いクラスメイトへのカミングアウトが必要ではない例が多い」のと「反社会的行動に対しては、毅然とした態度で指導をする」ことはどちらも妥当と思います。
その子供のベターな対応を真剣に考えての結果です。
その二つがなにか相反する矛盾があるということなのでしょうか。
いったい何をおっしゃりたいのか意図がつかめません。
指導なのか態度なのかという尋ね方もよく意味がわかりかねます。
どういう意味かもう少し具体的に説明をお願いいたします。


( ̄ー ̄)ニヤリ
>それも個性の範疇で受け止めていける柔らかな心には、多くの例においてカミングアウトは必要ないとさえ思います

>反社会的行動に対しては、毅然とした態度で指導をすることには変わりはないでしょう。

という対応の違い。こういうのを指導というと思うのだが、暗象の擁護とは違うのか? 態度なのか?

私のコメントを誤解されてかも知れないので補足です。

>「軽度発達障害児」は一見健常児と変わらない部分が多いので、その問題な行動(順番を守れなかったり、こだわりが強かったり、落ち着きがなかったり…)の部分が障害からのものなのか、はたまた単なるわがままなのかが見極めにくいのです。<

これについては診断の基準はあるものの、生育暦や、複数の場所での子どもの様子など、多くのことを複眼的にみて結論を出します。
その際DSM-IVという診断の手引きを基準の参考にすることが多いです。
しかしグレーゾーンというものは広く悩ましいものです。
発達はサシで測ったようにはいかず人それぞれ個性があるからです。

だから軽度発達障害との診断を受けた子もそのあたりは微妙で、一見何の問題もないように見える子も多いのです。
元気な子。
忘れっぽい子。
飽きっぽい子。
反対に個性だと思っている子の中にも該当者は案外いたりします。

>>わがままならば「許さない」態度が根底に要りますが、障害ならば友人関係の中で「本人の努力を促し褒める」「友人には理解を求める」態度が根底に必要です。

暗象、カミングアウトせずに同じクラスに同居できるのか? 先生の意見を聞きたいな。<


いちろうさん。
長らく来れませんで申し訳ありません。
いろいろと話が派生していたようですが、いちろうさんの私のコメントの意味への懸念点や疑問点にお答えしたいと思います。

カミングアウトするかどうかは別問題といったのは、これは本人も認識レベルが微妙なデリケートな問題だけに、保護者が教師に指導上の協力を得ることでカミングアウトはするでしょうが、生徒たちには実際はしないことが妥当だからです。

いや、それも個性の範疇で受け止めていける柔らかな心には、多くの例においてカミングアウトは必要ないとさえ思います。
「あの子はすぐに気を散らすけど、こんないいところもある」などとクラスメイトに個性の範疇として違和感なく大切な仲間として受け止められる例は多いのです。
幼ければ幼いほど子どもは垣根を認識しないものです。(どちらかというと保護者同士のカミングアウトへの問題のほうが現実的な問題と捉えられやすいものです)

このあたりは本当に小学校の担任の力量というものが大きくものを言いますね。

(´,_ゝ`)プッ
結局、細かな具体と、
姿勢は別物なんだね。
で、自分の判断で基準を変えるんだ…。
困った先生だ。

ネット上では、「言った者勝ち」ですね。

>教室で騒いでいる人がいたら、一人ずつ連れ出して指導する

授業妨害に対して教師がとるべき措置としては、その程度に応じて様々なものがあり得ます。
すでに継続的に授業妨害が行われており、その場での注意を受け入れる姿勢が全く見られない場合は、秩序を維持して他の生徒の学習環境を保障するために、学校による組織的・協力的指導が展開される場合があるので、一概に「そんなことは絶対ないでしょう」とは言えませんね。

(ノ∀`)・゚・。 アヒャヒャヒャヒャ

結局、子どもたちに
依怙贔屓と言われても反論できないし、
教室で騒いでいる人がいたら、
一人ずつ連れ出して指導するんだね (^O^)

こちらの記事に関するコメントも、別の記事でまとめました。
いちろうさんは、私がまずろさんを批判しなかったことを批判されたわけですが、その理由はおわかりになりましたでしょうか。
いちろうさんはまずろさんのコメントの「態度」と、教師が行う「指導」を完全に同一視されているようですが、まずろさんの「態度」は「指導」全般をさしているわけではないようですね。
いちろうさんは子どもの実態に応じた「態度」をとることに疑問を感じていらっしゃたのでしょうが、「障害が原因なら許してあげよう」と書かれているわけではないので、私には批判しなければならない問題だとは思えませんでした。

(○゚ε゚○)
暗象用に丁寧に書いたと思ったのに…。

>「異なる原因に基づく結果については、結果はもちろんですが原因に応じた指導を行うこと」は教育ではないのですね。

本当に先生なのか?
素人の想像力より狭い思考なんだよなぁ…。

投稿: いちろう | 2008/12/14 14:50 の続き。
Aくんがだんだん反社会的な行動を繰り返すようになり、手に負えなくなった親が病院で見てもらったら、ADHDで2次障害が出てきているといわれました。
これを知ったK先生は、手のひらを返したように違う指導をするんだね。(^O^)
Aくん、Bくんへの指導はすべて、他の子どもがいないところでするのか?

まぁ、暗象を依怙贔屓先生と言ったら異常に反応した意味がよくわかる回答だけど、それじゃぁ、先生やっていけないだろう。

「異なる原因に基づく結果については、結果はもちろんですが原因に応じた指導を行うこと」は教育ではないのですね。

(´,_ゝ`)プッ
さんざん聞き直して、結局これかよ。
教室の中に発達障害児がいたら、
暗象は教育ができないんだろうな。
わかっていたけど、寂しいもんだね。

異なる原因に基づく結果については、結果はもちろんですが原因に応じた指導を行うことになりますね。

ε-( ̄ヘ ̄)┌ ダミダコリャ…

Aくんが、問題行動を起こしました。先生の判断でわがままならば、Aくんに対して「許さない」態度が根底に要ります。
翌日Bくんが、Aくんと同じ問題行動を起こしました。Bくんは、障害なので友人関係の中で「本人の努力を促し褒める」「友人には理解を求める」態度が根底に必要だから、違う態度でのぞまなければいけません。

この考え方のもとで、暗象は、教育できますか?

いちろうさんが提示している条件をもう少し丁寧に教えていただけませんか?

だれが、だれに、などを入れて下さい。

(◎´∀`)ノ
投稿: まずろ | 2008/12/11 21:59

暗象が感謝していた説明文だよ。
まずろさんはカミングアウトを別物といっているから、カミングアウトせずに、そういう指導ができると言っているが、それか可能かどうかを聞いています。

>カミングアウトせずに同じクラスに同居できるのか

だれが、だれと、ですか?

(・∀・)ニヤニヤ
投稿: いちろう | 2008/12/11 22:11 の回答は?

┐(´д`)┌ヤレヤレ
>わがままならば「許さない」態度が根底に要りますが、障害ならば友人関係の中で「本人の努力を促し褒める」「友人には理解を求める」態度が根底に必要です。

暗象、カミングアウトせずに同じクラスに同居できるのか? 先生の意見を聞きたいな。


私の質問はスルーですか?

( ´艸`)プププ
結局そこかよ…。
ここの話もそうだが、まずろさんとこの話しも、
ウィキペディア程度の認識の部分で、
あなた方の認識が違っているといっている。
よく読んでみなよ。

もしかしていちろうさんは、カギ括弧の意味がおわかりになっていませんか?

(´,_ゝ`)プッ
なんだ、調べもしていないんだね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BB%BD%E5%BA%A6%E7%99%BA%E9%81%94%E9%9A%9C%E5%AE%B3

( ̄ー+ ̄)
>自分は批判されたくない人というのは、自分からは何も発信しない、ということですよね。

いやっ、暗象たちをみているとそうでもないぞ。
自分は間違っていないということを前提に、
啓蒙したい連中の方が多いと思うよ。
そういう人間に限って、お互い批判しあうことが大切だといいながら、自分が批判するだけで、批判を受け入れようとは思っていない。
他人に厳しく自分(仲間)にはやたらと甘い。

いちろうさんにしかわからない「間違い」なのでしょうから、放置しているわけではないことはもうわかっていらっしゃるのでは?

( ̄ー ̄)ニヤリ
>暗象相手に障害児のことを語る気はないよ。

私と障害児のことを語ろうと炒っているわけじゃない。批判しあって高めあうことを信条としている者どうしなのに、なぜ間違いを放置しているのかという指摘です。

誤魔化さないでね (^_-)-☆

結局、批判対象を見つけてはその人と遊びたいだけで、自分は批判されたくない人というのは、自分からは何も発信しない、ということですよね。

>暗象相手に障害児のことを語る気はないよ。

???

ε-( ̄ヘ ̄)┌ ダミダコリャ…
暗象は嫌いな人からの批判を受けつけないのはわかるけど、せめて調べるくらいのことはしたらどう?
せめて大好きなウィキペディアで、
「軽度発達障害」って調べてみれば?

私は「批判しあえる関係」を要求する人間ほど、
自分が批判されたら、
抵抗したり拒否したりすると思っている。(^_^)

ε-( ̄ヘ ̄)┌ ダミダコリャ…
まずろさんの説明、
暗象の信奉する文科省の見解とは違うよ。

お仲間の説明は、間違えていても、
素直に受けとるんだね。 (^O^)

まずろさんへ。
ご説明ありがとうございました。

┐(´д`)┌ヤレヤレ
>わがままならば「許さない」態度が根底に要りますが、障害ならば友人関係の中で「本人の努力を促し褒める」「友人には理解を求める」態度が根底に必要です。

暗象、カミングアウトせずに同じクラスに同居できるのか? 先生の意見を聞きたいな。

>「軽度発達障害児」は一見健常児と変わらない部分が多い

へぇ〜  φ(。_。)メモメモ

>ここぞと食らいついておいでですが、

毒を吐いていますね〜  (^O^)

>いじめなどにつながるおそれがある「軽度発達障害」の子どもを見つけ、小学校入学までに障害に応じて支援することをねらいとした<

いちろうさんはここぞと食らいついておいでですが、「軽度発達障害児」は一見健常児と変わらない部分が多いので、その問題な行動(順番を守れなかったり、こだわりが強かったり、落ち着きがなかったり…)の部分が障害からのものなのか、はたまた単なるわがままなのかが見極めにくいのです。
単なるわがままなら指導の対象ですが、障害なら療育の対象となります。
微妙な対応の違いを指導者側にもはっきりさせ、友人関係においてもそれを見極めたうえでの指導が必要となります。

つまりわがままならば「許さない」態度が根底に要りますが、障害ならば友人関係の中で「本人の努力を促し褒める」「友人には理解を求める」態度が根底に必要です。
もちろんクラスでのカミングアウトは別問題としてですが。

ですから、いちろうさんのおっしゃるような問題発言ではないと思いますよ。
そういう意味での就学前検診は効果が大きいものといえますね。

トラックバックに今頃気づいてすみません。
記事をありがとうございます。

少し気になったので誤解ならば解いておきたいと思います。

>、「親がある対応をとっていたら、障害の程度が軽くなっていたかもしれない」という意見<

障害そのもの自体が軽くなるのではないのですが、その子の心の安定から症状が落ち着くことはよくあります。
結果的に「障害の程度が軽くなった」と見られるかもしれませんね。
療育の成果と思います。

>「親がある対応をとらなかったのが、今の障害がおこっている原因だ」という意見<

これは絶対にありえません。
障害は生まれながらにして持つものであり、脳の神経伝達物質の働きの不具合からに因むもので、器質的なものも関与します。
しかし適切な対処方法をとらず、その子を偏見のまなざしで責めたり無視したりといったまずい対応が二次障害を起こす原因になることはよくあります。

ご存知かもしれませんが念のために。

( ̄ー ̄)ニヤリ
ビンゴー!!
暗象相手に障害児のことを語る気はないよ。

認識が誤っていたとしたら、書き直すことはできないのでは?

┐(´д`)┌ヤレヤレ
>それで十分です。

だったら、私からの指摘と質問。

>いじめなどにつながるおそれがある「軽度発達障害」の子どもを見つけ…

私は、この文の認識が間違えだと思っている。
どう書きなおせばいいか、わかりますか?

「間違えている」という指摘をいただければそれで十分です。

(´,_ゝ`)プッ
>「違う」という言葉をいちろうさんから聞きたかっただけです。

それ以前に、質問文が間違えていると指摘したのだが?

「違う」という言葉をいちろうさんから聞きたかっただけです。安心いたしました。

(○゚ε゚○)
>質問文です。

読めばわかるよ。

>「親がある対応をとっていたら、障害の程度が軽くなっていたかもしれない」という意見は、「親がある対応をとれば、障害は必ず軽くなった」という意見と同じでしょうか?

違うよ。
障害は病気じゃないんだよ。
その段階から間違えている。

>「親がある対応をとらなかったのが、今の障害がおこっている原因だ」という意見と同じでしょうか?

違うよ。
障害の原因という文言自体が間違いだよ。
せめて、2次障害と書くべきであることは、
障害者と関わったことのある人にとっては、
常識だと思っていたが?
学校というのは、そこまで酷いのか?

なんでこんなレベルの質問に答えなきゃいけないんだ? こんなことを質問する理由を聞きたかったのだか?

>このコメントだよ。
>何のために何が言いたいんだ?

質問文です。
いちろうさんのお考えをうかがいたかったので、質問させていただきました。

( ^ω^)おっおっおっ
>最初のは、他人のブログにつばを吐きかける行為ですね。


今度はブログ全部かよ。

>「親がある対応をとっていたら、障害の程度が軽くなっていたかもしれない」という意見は、「親がある対応をとれば、障害は必ず軽くなった」という意見と同じでしょうか?
>「親がある対応をとらなかったのが、今の障害がおこっている原因だ」という意見と同じでしょうか?

このコメントだよ。
何のために何が言いたいんだ?
わざわざ他人のブログへのコメントを貼って、
それにつけなければいけないという意図は何?

単純に、
>いじめなどにつながるおそれがある「軽度発達障害」の子どもを見つけ…
をコピーした意図さえもわからないから、
何かいちゃもんをつけておこうというだけじゃないの?

>つばを吐きかける行為

というなら、唾棄すべき行為とコメントだよ。

( ゚д゚)、ペッ
>弱者の立場に共感することも必要

最初のは、他人のブログにつばを吐きかける行為ですね。

( ゚д゚)、ペッ
暗象相手に障害児のことを語る気はないよ。
以前にやったし、
この間の記事を読み続けて、充分に理解している。
暗象とやりとりしても哀しくなるだけだよ。
ただの町のおっさんならいいんだけど、
先生と言う肩書きを背負っているのなら、
もう少し、弱者の立場に共感することも必要だよ。

いちろうさんは、まずろさんのブログのコメント欄に、

>大人になって飛び跳ねて叫んでいる障害者は、親が悪いからだと言いたいのか?
>親が早くに気づいて適切に対処していたら、障害児はみんな安定すると考えているのか?

と書き込んでいらっしゃいましたね。

たとえば、「親がある対応をとっていたら、障害の程度が軽くなっていたかもしれない」という意見は、「親がある対応をとれば、障害は必ず軽くなった」という意見と同じでしょうか?
「親がある対応をとらなかったのが、今の障害がおこっている原因だ」という意見と同じでしょうか?

あまりにも飛躍がありすぎませんか。

私の記事をもとに、何を訴えたいのかわかりませんが、その内容についてはどうぞまずろさんのブログ上でお示し下さい。
決してあせらずに、ご回答をお待ち下さい。

(ノ∀`)・゚・。 アヒャヒャヒャヒャ
暗象は、なんで私がこの部分にこだわるか、わかる?

独り言の書き込みはおやめ下さい。

(・∀・)ニヤニヤ
まずろさん、まだ忙しいのかなぁ〜

(・_・)エッ....?
まずろさん用にとっておこう。

>いじめなどにつながるおそれがある「軽度発達障害」の子どもを見つけ…

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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
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    「楽毅」第二巻より
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    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より
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    「沙中の回廊(下)」より
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    「沙中の回廊(下)」より
  • 人を得ようとしたければ、まずその人のために勤めねばならぬ。すなわち、晋が諸侯を従えたいのであれば、諸侯のために骨折りをしなければならない。
    「子産(上)」より
  • 知るということは、活かすということをして、はじめて知るといえる。
    「青雲はるかに(上)」より
  • 師はつねに偉く、弟子はつねに劣っているものでもない。弟子の美点に敬意をいだける師こそ、真に師とよんでさしつかえない人なのではないか。
    「孟嘗君 2」より
  • 人を家にたとえると、目は窓にあたる。窓は外光や外気を室内にとりいれるが、室内の明暗をもうつす。そのように目は心の清濁や明暗をうつす。
    「孟嘗君 2」より
  • 人にものごとを問うということは、質問そのものに、問うた者の叡知があらわれるものである。
    「孟嘗君 3」より
  • 人から嫌われることを、避けようとする者は、心の修養ができていないことである。
    「中国古典の言行録」より
  • 人を利用すれば、かならず人に利用される。・・・企てというのは、人に頼ろうとする気が生じたとき、すでに失敗しているといってよい。
    「太公望 中」より
  • 与えられてばかりで、与えることをしないことを、むさぼると申します。むさぼった者は、なべて終わりがよくない
    「孟夏の太陽」より
  • ・・・料理をつくりながら、人と組織とをみきわめたのか。素材が人であれば、素材を合わせてつくった料理が組織である。それ自体はにがく、からいものでも、他の素材と合わされば、うまさを引きだすことができる。煮るとか蒸すとかいうことが、政治なのかもしれない。
    「太公望 中」より
  • 他人を変革するためには、まず自己を改革しなければならね。
    「太公望 中」より
  • 人が何かを得るには、二通りあります。与えられるか、自分で取るかです。(中略)与えられることになれた者は、その物の価値がわからず、真の保有を知りませんから、けっきょく豊さに達しないのです。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • みじかいなわしかついていないつるべでは、深い井戸の水を汲むことはできない。
    「奇貨居くべし 黄河編」より
  • 人は目にみえるものを信じるが、そのことにはかぎりがあり、けっきょく、人が本当に信じるものは、目にみえぬものだ
    「晏子」第二巻より
  • 人にはそれぞれこだわりがあり、そのこだわりを捨てて、変化してゆく現実や環境に順応してゆくことの、何とむずかしいことか。
    「奇貨居くべし 飛翔篇」より
  • 失敗を心中でひきずりつづけると、起死回生の機をとらえそこなう。それは戦場における教訓にすぎないともいえるが、大きな勝利とは、相手の失敗につけこむのではなく、自分の失敗を活かすところにある。楽毅の信念はそうである。
    「楽毅」第四巻より
  • 人の頭脳のなかの眼力は、木の幹にあたるであろうが、幹をささえるものは知識という葉ではない。根である。根は地上の者ではどうすることもできない伸びかたをする。その根は天から落ちてくる水を吸い、人からあたえられる水も吸って太ってゆく。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 大木にするためには、幹の生長に目をうばわれがちであるが、地中の根を大きく張らせることを忘れてはならない。花を咲かせることをいそぐと、花のあとの結実をおろそかにしてしまう。要するに、大木でなければ豊かな実をつけないということである。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • あらゆる事態を想定して準備を怠らず、変化に対応できるようなトップでいなければならない。
    「中国古典の言行録」より